橋本毅彦「蒲鉾から羊羹へ– 科学的管理法導入と日本人の時間規律」『遅刻の誕生』(2001年)、第5章。
はじめに
- 科学的管理法(テイラー)=生産工程の要素的な作業に対して最善の方法を工夫し、それを標準的な作業方法と定めることで、全体の生産工程を効率化させるもの。
- その実施に当たっては、時間通りに労働を開始し終えるという時間規律の徹底が、労働者に求められることになる。
- 本章では、工場の職工らの生活、科学的管理法の導入に伴って述べられた時間規律に関する様々な発言を追いかける。
- 女工に時計などいるものか
経営者側の意見:現状、職工には労働時間と休憩時間の区別がない。就業中にも雑談をしたり、監督者の目を盗んで労働をサボったりしている。だから、やむを得ず労働時間の延長をしているのだ(不規律→延長)。
⇔執筆者:労働時間が長いから、労働が不規律になっているのでは(延長→不規律)。
- 遅刻も行けない、早出もいけない
- 宇野右衛門:『職工問題の研究』:明治から大正にかけての労働と生活の問題を調査。
→欠勤率の一年と一ヶ月でのばらつき(=暑い夏は高い、帳締めの翌日以降は低い)。
→生活上の工夫が必要であると説く。(家族に起こしてもらう、弁当は工場に届けてもらうなど。)
- 遅刻という病気の治癒
- テイラー『科学的管理法』が1911年に出版。同年、池田藤四郎が「無益の手数を省く秘訣」というテイラーの思想を紹介する連載記事を開始。
→管理法実施に当たっては、時間規律を励行していくことが前提であり、遅刻の常習者は病人として扱われる。(皆勤賞の設置)
- 1920年に東京教育博物館にて「時」展覧会が開催。日本人の日常生活における能率向上を目指した展覧会。→「生活改善同盟会」が設立。
:日本人の日常生活では、伝統的な慣習の煩雑な手続きのために時間が浪費されているので、それを簡素化して時間厳守を励行することで、時間を効率的に使用することが求められる。
⇔上野『人及事業之心理』(1918年):広告心理学の本。
→当時の日本社会では男性/女性ともに、時間節約という利点は優先順位の高い点として受け止められていなかった。
- 蒲鉾型時間と羊羹型時間
- 伍堂卓雄:東京帝大卒業後、海軍技術士官として奉職。英国のアームストロング社に駐在し、日本における科学的管理法の導入に大きな影響を及ぼした人物。
- 蒲鉾型=日本(だらだら)/羊羹型=欧米(メリハリ)
- ラインシステムからスタッフシステムへ移行。
←予定係と進行係の役割の重視。
- 呉海軍工廠では科学的管理法が実施され、遅刻の厳禁化、就業中の怠業を禁止した。
- 民間工場における科学的管理法の導入と時間規律
- 民間では、上野陽一が中山太陽堂(化粧品)で実施。
:機械時計の代わりに電気時計を導入。誤差を減らす。
- 「50年遅れ」の能率化
- 事務作業(ホワイトカラー)への管理法の導入:「五十年遅れている」(上野)
→1920s後半から、計算機の導入、帳簿の管理など、さまざまな事務機器が導入されるように。
- 会見・会議の時間の短縮化が問題→対人関係を含む会議の進め方は、文化的要因が色濃く反映され、標語通りに進めることは困難だった。
- 公務員の夏期半休
- 産業合理化が進展する1935年には、官公庁の夏季半休制度が批判されるように。
半休制度:2日の休暇=1日分の出勤として扱う制度。
- 科学的管理法と中庸の精神
- 上野の「中庸」論:科学的管理法の要点は、標準を定めること。標準以下をこなせばムダを生じることになり、以上をこなすとムリを強いることになる。
→標準以上でも以下でもない、「中庸」を実施することが能率論の要諦である。
⇔実際には戦時動員の中で、ムダとムラはなくすが、ムリは増加の一途を辿って行った。
- 結語
- 科学的管理法の導入の前提=時間規律の励行
→「前近代的」と見做される遅刻、早退、欠勤などの改善が第一の課題となった。
→1920s中頃に、軍隊、鉄道、そのほかの工場などでは、時間規律が定着するようになっていったと思われる。
- ホワイトカラーとブルーカラーでは、時間規律の励行に関して、要求される度合いが異なっていた。
=時間規律の強制は、作業の性質と職員の地位に関わっている。
- 上野陽一:能率主義は、人生の目的を「能率的」に達成することを説き、自ら実践していった。
議論
- 戦時中の軍事物資の生産力の日米比較を考慮すると、全般的に、戦前日本は研究力そのものよりも生産力に問題があったように思われる。そして、その要因の一つは、(工作機械の導入の遅れと並んで、) 産業全般に「科学的管理法」がアメリカに比べて十分に定着していなかったといった点があると思われる。著者は、1920s半には「時間規律の励行」が定着していったと見ているが、産業全般には、実際に科学的管理法がどの程度普及していたのだろうか?もし科学的管理法がそこまで普及していなかったのだとすれば、それが労働者の時間規律ではなく、部品の標準化など、他の側面に問題があったのだろうか。
- そしてその前提として、一つの学問体系としての科学的管理法が、実際にどの程度教育されていたのだろうか?
[1] 懐中時計や腕時計の普及は、時間意識の社会史の中核的なテーマになるだろう。