yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

吉田、1990年

吉田秀明「通信機器企業の無線兵器部門進出―日本電気を中心に

(下谷政弘編『戦時経済と日本企業』(昭和堂、1990年)、3章。

 

 

課題

  • 1930sと太平洋戦争期にもともと有線電話メーカーであった日本電気が急速に無線部門に進出する。
  • 本章の目的:この進出を可能にした要因はなんだったのか?

→特に真空管市場における東芝ガリバー企業との「技術交流」に注目する。

 

 

  1. 無線機器市場の急速な発展

1-a 戦前の通信機器市場

  • 30sの通信機市場の拡大を担っていたのは、無線機。

日中戦争期には通信機全体の6割、42年には7割を占める。

  • 有線電話の大半は官需(逓信省)。無線通信の大半は軍需(ラジオは41年をピークに減少に転じる)。

=軍部は無線兵器の増強を、民間企業の管理・指導を通じてしか達成する道がなかった[1]

1-b 兵器としての無線機

  • 通信技術=軍の神経系。
  • 電波兵器:レーダーなど。
  • 通信・電波兵器への軍需の増大が、通信メーカーに対する市場を創出し、彼らをエレクトロニクスメーカーに変身させる契機となった[2]

 

  1. 日本電気における無線機生産体制の構築

2-a 無線部門進出を可能にした要因

  • 日本電気はWEとの提携を通じて、20s半までは電話機・交換機などの有線電話市場で圧倒的地位を保っていた。
  • ではなぜ、有線市場におけるドミナントであった日本電気は、無線部門に進出したのだろうか?:
  • 逓信省による発注の分散;1920s後半からの「国産品愛用運動[3]」の影響によち、逓信省による機器の発注は、外資系=日本電気への集中から他社へ分散するようになった。

→無線機器市場への進出を決断。

  • 1930sにおける軍需と結びついた無線市場の創出と、その市場動向を予測した経営層のセンス。
  • 30s以前から蓄積されていた同社の効率的生産システムと生産技術。
  • 資金力・信用力。

2-b 設備投資

 

2-c 企業グループの形成

  • 1930s末には有線・無線通信機分野に特化した企業グループを形成していく。

:大きくは、(1)通信機の原材料・部品会社(ex 岩城硝子、東北金属工業)、(2)製造機械メーカー(ex 日本航空電機、北浦製作所)に分かれる。規模はそれほど大きくなく、不足が見込まれる資材確保の対策といった意味合いが強い。

  • 有線分野でのライバル=沖電気も買収しようと試みたが失敗。

→無線分野への進出に拍車がかかった。

 

  1. 戦時における日本電気の無線兵器生産

3-a 電波兵器の開発

  • 日本電気における電波兵器の開発:小林正次による航空機探知機、海軍、NHKと共同で開発したパルス式レーダーなど。

 

3-b 真空管生産と東芝の壁

  • 真空管市場では、GEのpatentを有する東京電気(東芝)が圧倒的なシェアを持っていた。
  • 沖電気、安中電機などは真空管の製造を中止し、1935年には沖電気と東京電気との間で売買契約・特許実施許諾契約が締結。
  • 日本無線真空管特許実施に関して、東京電気と資本・技術提携を結んだ。

→こうした状況は、太平洋戦争の勃発によって変化した。

:①「工業所有権戦時法」(1917)の発動により敵性特許による国家の取り消しに法的根拠が与えられ、②「特許発明等実施令」によって適性以外の特許権にも実施権が内閣総理大臣の権限で設定できるようになる。

⇔①戦時法によって取り消されたものが44%(1382件)で、これに対して1829件の専用免許が申請されたが、認可されたのは244件に過ぎなかった[4]。②は不明。

☜既存の特許権を侵害することは容易ではない。国家・軍と企業の相剋が発生する。

  • ここで提起されたのが「技術交流」

真空管部門の原材料・製造技術では東芝が圧倒的。=真空管の生産額全体の46.4%。日本電気は22.1%、日本無線は17.3%、川西機械は9.9%と続く。

→技術「交流」〔双方向のインタラクション〕ではなく、東芝から他企業への一方的な技術流出であると見た方が適切。=「技術直流」

 

3-c 「技術交流」が持つ意味

  • 「技術交(直)流」:先発者のもっていた特許や企業秘密を後発者に分配し、後者を引き上げて前者と同じラインに立たせる。軍需省、技術院が主導。

Ex :部品材料の混合比率、取り付け位置、エイジングの際の電圧や負荷時間、熱処理の温度、硝子の厚みなど。

東芝は査察へ非協力的な態度をとったことや、それに対して査察側が警告していたことを示唆する資料がある。

  • 大河内正敏:金銭的報酬の重要性も指摘。
  • 日本電気側の反応:大型真空管の製造のために、RCAの製造機械の図面を軍需省経由で入手し、受信管の本格的生産に入ることができた。「東芝さんには、わるいことをしたという、いささかうしろめらさが残」った。

 

議論

・戦時期における東芝からセカンドメーカーへの真空管の「技術交流」の一側面を描いており興味深い論文である。

・本稿では強調されていないが、東芝→セカンドメーカーの手前に、GE=RCAの存在があることには注目した方が良いと思った。実際、つまるところ、東芝の技術というのはGE=RCAの技術なのであって、それが直後に敵国となるアメリカから入ってきていたという、複雑で皮肉な現象が起きてきたのである。

 

[1] 「達成する道がなかった」というとはネガティブに聞こえるが、実際のところ通信兵器生産において民間の技術力を活用することは軍部の意図するところであり、ポジティブに捉えるべきだと思われる。

[2] このステートメントが正しいかどうかは、戦後の検討を行わなければならない。

[3] 重要なテーマだが、先行研究はほぼ皆無であって、今後の研究が待たれる。

[4] 企業サイドの反発もあるだろうが、やはりユニバーサルな法規範、法倫理を主張する法務省サイドの抵抗も大きいと想像する。