yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

『虚構の近代』、2

第二章 憲法

2-1 近代の「憲法」

  • 近代は、(1)a:人間、b:非人間、(c:半ば抹消された神)の3つを「同時に」生成し、その同時制を隠蔽して3つの独立したコミュニティとして扱うこと、(2)その水面下でハイブリッドを増殖させていること、を特徴としている。
  • 近代において、自然と社会(ないし自然の力と政治権力)を分離しているのは、「憲法」(政治の憲法と区別して「」で括る)上の働きである(≒行政と司法の分離)。
  • そうした「憲法」を起草しているのは誰なのか?それが、人間と非人間などを分離し、定義するのは、どういったメカニズムによるものなのか?
  • 『リヴァイアサンと空気ポンプ』:17C半ばに、社会とそこから分離した自然が実は同時に創造されたことを明らかにした名著。

☜このルーツに遡って、その後の時代の物語を要約してみる。

 

2-2 ボイルと対象としてのモノ(Object)

  • 『リヴァイアサンと空気ポンプ』:ボイルの科学的仕事をその社会的状況に関連づけるものではなく、また、政治が科学理論にいかに押し付けられていくのかを論じたものではない。

⇔ボイルとホッブズの論争を通じて、科学と社会的コンテクストを、その両者の境界をいかにして創造するに至ったのかを明らかにした。

☜ボイルに科学だけではなく政治理論を、ホッブズに政治理論だけではなく科学を帰属させた。

両者はほとんどの点で見解が一致していたが、空気ポンプから何を引き出せるかという点についてのみ異なっていた。

  • ボイル;話題がなるべく真空ポンプに向かわないようにした(真空論者と空気充満論者のどちらにも加担しなかった)。

→彼は、実験の場に集まった信頼できる裕福な商人たちの、その場で起きている事実についての証言を土台に据えた。実験室という保護された閉鎖空間で生じる人工的な現象に観察を求めただけである。=経験的手法を開発した。

→事実は、宗教、政治、形而上学から独立したものになる。

 

2-3 ホッブズと人民

  • 市民戦争を終結に向かわせるべく、身体政治学による統合を通じて達成しようとした。=代理人の統合によって国家という一つの身体を統合する。

☜唯一の権威=知識(聖書の内容ということ?)しか存在しない状況を作ることが必要である。⇔精霊、妄想などの活性化した物質の力。

→見解、観察、発見によって科学的成果に到達するのではなく、数学的証明、計算によって行うことだけを認めた(演繹的ということ?)。=一般構成主義。

  • そこに王立協会が巻き返しを図る。=自分達には、閉鎖空間(実験室)での独立した意見を述べる権利がある。その空間に対し、国家は統制を敷くことはできない。

☜その科学的事実の根拠は数学的証明ではなく、実験・観察である。(ex 真空)

⇔ホッブズにとっては、知識と権威はひき剥がされ、再度「二重性に出会う」ことになってしまった。

 

2-4 実験室を架け橋に

  • 有り合わせの空気ポンプを細工しているうちに、ボイルはそれを首尾よく、事実を生み出す紳士階級の道具へと転換した。
  • 空気ポンプは、身体政治学、神、神がもたらす奇跡などに関する議論をどのように「翻訳」するのか?(そもそもどうして翻訳しなければならないのか?)

⇔従来の文脈主義的研究:神、国王、議会と、空気ポンプが作り出す実験とのリンクが、なぜ前もってそこに形成されていたのかを説明してこなかった。

  • 空気ポンプを操るものが、やがて国王、神、状況全体を司るようになる。
  • 『リヴァイアサンと空気ポンプ』は、17Cの実験室で誕生した新たな「対象(object)」の考古学を試みた。

=現実世界の外側にある事実について語るのではなく、両者を繋ぎ止めた。

  • ホッブスはマクロレベル

⇔ボイルは実験を洗練させ、ホッブズが敵対者の理論を無効にしようとして考えた検知器を用意し、真空の効果がそこに及ぶように仕組んだ。

=ホッブズが掲げたのは、政治哲学の核心に触れる問題であったが、彼の理論はガラス容器の羽によって覆されてしまった。

 

2-5 非人間による証言

  • ボイル以前、非人間が証人になるといったことは想定されなかった。非人間の振る舞いが問題にされることはなかった。

⇔ボイルの時代に、実験室自体が法廷になっていく。実験こそが権威になる。

:非人間は、意志を持つことができないが、証人の前で実験装置に走り書きをし、記録を残し、何かを指し示すことはできる(刻印できる)。=意味を授けられる。

→記号論的威力を備えた非人間が、文書の新形式、実験科学論文の登場に一躍担う。

古びた聖書解釈のスタイルと刻印を生み出す最新の装置とのハイブリッド

  • 新空ポンプが欧州中で再生産され、徐々に廉価なブラックボックスに改変されていく。ネットワークは拡大し続け、安定化する。真空の創出はルーティン化する。

☜「普遍法則などには決してならない」のであって、あくまでのネットワークの中でのみ不変になる[1]

 

2-6 実験室とリヴァイアサンという二重の人工物

  • 科学的実践は、客体の極(非人間)と主体の極(人間)とを繋ぐ、真ん中あたりに位置付けられるべきのでは。

⇔シャイピンらは、そこまで答えていない。

→彼らは、ホッブズの解釈に説得力ありと軍配をあげる。(非対称)

知識は人間行為の産物である。つまり、ホッブズが正しかったわけだ。」

  • ⇔実際には、ホッブズは間違っている。たしかに知識は人間行為の産物であるが、ボイルの政治的発明も(同じ理由で)洗練されたものになっているはず
  • 彼は、科学的事実という表現を、歴史的、政治的創造物として扱うように心を砕いた。しかし、政治的言語については、そういった注意を怠った。=権力、権益、政治といった用語を、特別な配慮もなく使った[2]
  • 空気バネの方がイギリス社会そのものよりも豊かな政治的基盤を有するなどとは、およそ納得できる話ではない。〔君たち社会学者は)空気バネという単なる物理現象が、イギリス社会という立派な人間たちの政治よりも、世界を動かす力(政治的基盤)を持っているなんて、まさか納得できないよね?〕

=自然に関しては構成主義を、社会に関しては事実主義をとるとでもいわない限り、そうである。

 

2-7 科学における代理制と政治的代理制

  • ボイルは科学の言説を作り出しただけではない。反対に、ホッブズは政治の言説だけを書いたわけではない。

ボイルは「政治を排除する政治的言説」を生み出し、ホッブズは「実験科学をそこから排除」するべきだと主張した。

二人が共犯で、モノの代理制と社会契約を通じた市民の代理制とが永久に交わらない世界(近代世界)を作り出したのである。

  • ホッブズの共和国は科学・技術がなければ無力である。

 

2-8 近代憲法における保証

  • 近代のパラドックス[3]

 

 

2-9 第四の保証 – なかば抹消された神

  • 神を完全に超滅させるのではなく、利用できるようにはしておく。

 

2-10 近代論の威力

  • 18C啓蒙の時代。社会科学の発展。モノとイデオロギーを分離していく。
  • マルクス主義:物質とイデオロギーを分離していく。

 

2-11 近代人の無茶振り

  • 2-8の表にあるような内在性と超越性を自由に行き来できる(それは、自然と社会が文化しているというお約束によって成立している)がゆえに、近代人は無敵になれる。それによって拡大していく。

;自然は人間が作り出すもの(内在)、自然は人間を超越しているという主張が両立しうる。

Cf 「だるまさんがころんだ」;振り向いた瞬間に、「モノ」と「主体」があらわれる。現行犯で逮捕することが困難。

⇔実際には、全てはその真ん中で起きている。媒介・翻訳・ネットワークを通じて出現する。

 

 

2-12「憲法」は何を明らかにし何を隠蔽するのか

  • 近代は、自然、社会、神が、それぞれ内在性と超越性を行き来しながら、何をもすることが可能になった。=策略。

≒自然の超越性(実は人間によって動員可能である必要がある)、自由な社会(実は超越的な存在である必要がある)、神の不在という3つの考えによって、近代は推進されている。

  • 必要なこと=純化と媒介[4]の関係
  • 近代:神、自然、社会の中央にひらけた領域を空っぽにする(純化する)ことで、ハイブリッドについて想像できないようにしている。

 

2-13 弾劾の終焉

  • 近代人は、(1)あるときには自然、ある時には社会、あるときには神といった具合に、訴追する対象を変え、かつ、(2)超越性と内在性を対峙させてきた。

=6つの訴追法。

  • 弾劾はすでに先行研究によって終わっている。

 

2-14 かつて私たちが近代人であったことも一度もない

  • 我々の選択肢:

(1)「憲法」が述べる二分法を信じる=純化を弁護・実践する

(2)「憲法」が許容・禁止するものの両方を研究する=媒介と純化の両方を研究する。

  • ≠ポストモダン;「憲法」が提供する保証を信じていないのに、そのもとで繁栄しようとする。近代を延命することしかできない。
  • ≠反近代(アンチモダン);これも近代を鵜呑みにしている。〔だからこそ反対できる〕

筆者の立場=非近代(ノンモダン):我々は「憲法」の規定にある近代人であったことは一度もない。近代はもともと存在しなかった。

(ポストモダンは、そもそも始まってさえいない時代の「後」に到達したと主張する点で誤りである。)

 

[1] これはなかなか首肯できない主張ではある。

[2] 彼に言わせれば、ボイルが歴史を変えたのは、彼が優れた政治家だったからではなく、「空気ポンプ」という強力な「モノ」を味方につけたから。モノの「豊かさ」: 空気ポンプが生み出す「真空」や「圧力」という現象は、単なる人間同士の口喧嘩(イギリス社会の政治)よりも、はるかに複雑で、強固な力を世界に持ち込んだ。

[3] 第三の保証が、どうして超越性と内在性の行き来を可能にするのだろうか。

[4] 純化はわかるが、この媒介というのが何を言っているのかわからない。

 

 

 

『虚構の近代』、1

『虚構の近代』

 

第一章 危機

1-1 ハイブリッドの増殖

  • ハイブリッド(異種混合)的な記事は、日増しに増えている。

:新聞には、科学、政治、経済、法律、宗教、技術、フィクションからなる複雑なもつれが描き出される。

→そうしたもつれは混乱を引き起こす。

⇔(近代人は)もつれなど存在しないかのように振る舞う(=ゴルディアスの結び目を見事に切って見せる)。

 

2-2 ゴルディアスの結び目を再び結ぶ

  • 本書では、翻訳(translation)あるいは、ネットワークという概念を用い、処処方々へと連結が生じていく現象を説明する。
  • これまで、近代論者が常用する3つのカテゴリーによって仕事が分断されてきた。

(1)認識論(自然化):SSK関連の科学論(マッケンジー、ヒューズ、ラトゥール)を、科学と技術についての研究、道具的・計算的な純粋思考の表れとして誤解している。

⇔科学論は、自然・知識・モノを扱っているのではなく、モノが社会共同体や主体に接合していくあり方を探求している。

(2)社会科学(社会化):科学的事実を政治的な利害関心に還元しただけだと誤解する。

⇔科学論は、事実が、共同体(非人間と人間の複合体, collective)や対象(オブジェクト)にどのように関わるのかという問題を探求している。

(3)テクスト学(脱構築):モノや人間について語っていないのだとすれば、言説、表象、テクスト、レトリックの「言語ゲーム」について語っているのだと誤解している。

⇔言語はそれ自体として存在しているのではなく、モノの性質と社会的コンテクストの両方に同時に影響を与える新たな形を取る。

 

1-3 近代論に訪れた危機

  • これら三者が適当な距離を保っている限り、知的生活は存続可能。

∵それぞれの流派は他の二つの流派を責め立てることで生きていける。

我々に残された選択肢:

(1)近代論者のやり方を正しいと認めること

(2)学問の縄張りを越えていくこと、社会、自然、言説に限定しないこと。

  • (2)を進めるのに有効なものが人類学。

∵人類学者が行う地域研究で、自然理解を取り込み、社会的関係を分析し、言説にも注意を払うという3つの条件を満たしていないものは、およそ存在しない。

→西洋社会に、「社会技術的もつれ」(sociotechnical imbrogliosインブロリオ)ともいえるものを見出すことができる。

⇔しかし、人類学的分析を未開人に適用できても、西洋文化に対してはなかなか遂行できない。なぜなら、我々が近代人だからである。

→仮に、近代世界の人類学的分析が可能だとすれば、近代世界という定義そのものに変更が求められる

 

1-4 1989年 – いくつもの奇跡が押し寄せた年

社会主義と無限の自然の終焉。

  • 反近代(アンチモダン):人間による人間・自然に支配を終わらせようと主張すること。
  • ポストモダン:信心と懐疑の間を行き来する。
  • 近代(モダン):上記の二つにコミットせず、近代であり続けようとする。

→二重の崩壊によって、これらのいずれもが疑問視されるようになった。

 

1-5 近代であるとはいかなることか

  • 近代について語るとき、「過去」を同時に定義している。そして、勝者と敗者を内包する。

近代は、二重の非対称性を内包している

  • 本書の仮説:

「近代」という言葉は、「翻訳」と「純化」という二つの実践を表している。しかし、昨今そこに混同が生じている。

翻訳:自然と文化が混淆し、ハイブリッドが生成される。=ネットワーク

純化:人間と非人間が生み出される。自然と社会と言説に切り分ける=近代人の立場

→これらを別個のものとして捉えているなら、我々は近代人である。

⇔両方を同時に視野に入れれば、近代人として存在することが途端に難しくなる。

 

  • 第一の問い:この「翻訳」と「純化」という二つの働きには、どのようなつながりがあるのか?

第二の問い:前近代人、異文化に関する問い。西欧と異文化の違いはどこにあるのか?

第三の問い:私たちが達成すべき目標は?

 

 

コメント:

science in actionの時と比較して、「言説」という新しい要素が加わっているように見える。しかし、全体の方向性として、science in actionとあまり異なっていない印象を受ける。本書の評価は、以下、各論がどう展開されていくかにかかっている。

 

 

David F. Noble, “Command Performance: A Perspective on the Social and Economic Consequence of Military Enterprise”

David F. Noble, “Command Performance: A Perspective on the Social and Economic Consequence of Military Enterprise” (1985)

 

  • 軍事が技術開発の促進に重要な役割を果たしてきたことは周知の事実であり、特に戦時においてはそうである。
  • 軍事特有の目的のために生み出された技術:近接信管、潜水艦、航空機探知機、戦闘通信、ミサイル、弾道計算、航空機、核兵器など。

☜これらが民間利用に波及し、より多様な目的に転用されるという通説がある。

この場合の軍部の役割は、次の2つの特徴で定義される;

(1)軍部の存在は、民間経済にとっての「外部性」である[1]

(2)技術開発に対する軍の影響は一時的なもので、恒久的な痕跡を民間領域へ波及させることはない。

⇔これらの通説は、以下の点で問題がある。

(1)軍は民間経済にとっての「外部性」ではなく、米国の産業発展における「中心的な」存在である。

(2)軍の影響・痕跡は一時的なものではなく、広範な経済的・社会的帰結をもたらす。

  • 1965年に米国空軍は『現代製造技術』という30分の映画を制作。☜数値制御(NC)製造法の普及を意図。

☜ここに筆者が「軍事的アプローチによる産業発展の支配的特徴(dominant characteristics of the military approach to industrial development)」と呼ぶものが示されている。それは以下の3点に集約される。

(1)性能(performance):軍事目標の達成に置かれる重点と、そこから必然的に導かれるもの(仕様)。

Ex ある戦術的目標のために、高速・多用途の航空機を要求するなど。

これらの軍事性能目標は、国家存亡の名の下に正当化され、そこから導かれる製品仕様もまた正当化される。この場合、コストは二次的な要素に過ぎなくなる

(2)指揮(command):上官が命令をくだし、下級者が無条件にそれを実行すること。

指揮系統の短縮と、意思疎通の断絶機会を大幅に削減することを求める。

=命令と実行の間に介する人間を減らし、残った人間が固定された指示に従い確実に行動すること。

(3)近代的手法(modern method):反論しない機械への執着、資本集約的生産の固執[2]。対義語は、従来的・伝統的(conventional)。

:「伝統的」であることとは、人間への依存を意味し、その人間は感情や原始性を体現しているとみなされる。伝統は「後進」と解釈され、これが近代化への推進力となる。

  • これら3つの特徴(性能、命令、近代的手法)が国家安全保障の名の下に正当化され、軍事調達契約を通じて産業全体に強制されている[3]
  • しかし、軍の枠組みの中においてこれらが合理的であっても、他の文脈においては目的が異なるので、非合理的となる。

⇔むしろ他の文脈で求められることは、安価な商品[4]、サービスを通じての社会的・人間のニーズを満たすこと、競争市場の要求に応えること、民主主義・幸福追求、自由といったアメリカが価値を公言するものの育成

⇔軍事化は、自立性、創造性を阻害し、人間技能の蓄積の枯渇、失業などをもたらす。=ルイス・マンフォードがいう”authiritarian technics”を助長する。

=人間を機械装置に従属的な立場に置く。

  • 筆者は、機械化・自動化自体に反対するのではない。むしろ、新しい手法を賞賛している。しかし、それがもたらす社会的・人的コストや幸福増減の可能性を厳しく検証しなければ「合理的」であるとはいえない。

→何のために、どんな、誰のための進歩なのか?を考えつつ、軍が産業・技術開発に与えた影響を具体的に検証していく。

→以下では、陸海軍のそれぞれの事例から、互換性部品、コンテナ、NCを取り上げる。

 

  1. 陸軍 : 互換性部品(interchangeable parts)
  • 19C前半、兵器廠と兵器局(軍工場を統括する部署)は、均一性(uniformity)のイデオロギーを発展させた。

交換可能な予備部品の供給を通じて、火器の容易な野外修理を確実にするという性能(performance)目標。

米英戦争(1812)において、火器の兵站(ロジ)問題に直面。スプリングフィールドとハーパーズ・フェリーの両兵器廠、および民間請負業者の工場の双方において、火器製造における均一性を確立しようと試みていく。

  • 交換可能な予備部品の供給を通じて、火器の容易な野外修理を確実にするという性能基準(performance criteria)は、オブセッションになっていく。
  • 均一性(uniformity)という性能基準は、それまで比較的自律していた全ての生産活動に対する指揮権の確立を必要した。

=「原料の最初の分配から最終的なコスト計算に至るまでの、生産プロセス全体の特定の規制のための、継続的な官僚機構の設立」

→modern method;硬化鋼のゲージ(計量規)、パターン(型)、専用の機械や固定具など。

→職人の自律性に目指した伝統的な作業パターンなどを排除していく。科学的管理法の前兆となる。

  • 兵器廠で発展した均一性システムは、専用機械、精密なゲージ、部品の互換性を特徴とする、いわゆる「アメリカン・システム」の基礎となった。人々は武器ビジネスを去って工作機械産業を立ち上げ、そこから鉄道設備、ミシン、懐中時計、タイプライター、農機具、自転車などの製造へと均一性の原則を広めていった。=「進歩」の歴史

⇔機械化の必要性や均一性の重要性をめぐって、対立する意見が存在していた。

Ex 新しいシステムがなくても、ハーパーズ・フェリーが約30年間にわたり、そのシステムが最初に導入されたスプリングフィールドの生産量に匹敵し続けた。

  • 均一性の原理に基づく互換性部品生産、科学的管理法(American System of manufacturing)は軍にとって明らかに利点が多かったが、他の製造業者にとってはその利点はそれほど明白ではない[5]

このシステムは、職を失った人々、より厳格な規律に従わされた人々、そして近代的な手法には常に伴う「脱技能化(デスクリング)」と「地位の低下」に苦しんだ人々にとっては、災難であった。

 

  1. 海軍:コンテナ化
  • 1952年に、アメリカの水中戦能力を向上させ、軍事作戦への兵站支援を保障するという性能(performance)目標を背景に、官民で海上貨物取り扱い・輸送に関する研究を開始。

→1960年に機械化・近代化計画が太平洋海事協会と西海岸港湾労働組合のもとで合意される。

近代化=バラ積み貨物→標準化コンテナ、従来貨物船→コンテナ船、大型ドックとクレーンへの代替

→伝統的な港湾貨物業務が廃止される。さらに、ベトナム戦争の需要によってコンテナ革命は大幅に加速される。

  • 従来の港湾貨物業務:イニシアティブ、技能の分散化、継続的な会話、非公式の仲間意識、活気に満ちた港湾コミュニティーなどの労働文化によって特徴づけられる。

⇔貨物・船舶は標準化される。埠頭作業は定型化され、厳格な管理と規律の対象となる。

→埠頭コミュニティーは壊滅する。

;労働者に自律性、革新性を発揮する機会はなく、勤務中に次のコンテナをどこに積み、どこに下ろすのかを無線やコンピュータのプリントアウトで指示されるだけになる。

☜小数の特権を守るために多数者を犠牲にする選択をした[6]

 

  1. 空軍:数値制御(Numerical Control)
  • 数値制御(NC)は、大部分がアメリカ空軍によって費用が負担された。性能目標=複雑な機械加工能力と均一性を必要とする高速航空機およびミサイル。

朝鮮戦争と冷戦によって勢いづけられる。

  • NC革命の設計者らの構想:人間の介入の排除(指揮系統の短縮)および、残された人々を非熟練の、日常的な、そして厳密に規制されたタスクへと追い遣る。

∵数値制御=部品仕様を数値情報に変換し、経営陣が機械工の技能・自主性に依存せずに直接機械に入力できる技術

☜19Cに兵器局の幹部たちが構想していた管理統制技術の実現。

  • NCとは、管理側が労働者を介さずにコンピュータを介して直接機械と連絡できる。むしろ、機械自体が労働者のペースを調整し、規律を課す。

熟練したバッチ(一括)作業を、連続的なプロセスである組立ライン作業へと変貌させるもの。

  • NCが登場する前には、レコード・プレイバック制御と呼ばれる技術が発展しつつあった。

レコード・プレイバック:機械工が最初の一つを手作業で作る間に機械の動きを磁気テープに記録し、その後は単にそのテープを再生して機械の動きを再現し、部品を複製するもの。=手動での指示やパターンの輪郭をなぞることによってプログラミングされるアナログ・システム。バッチ生産に適している。

NCからすれば、労働者の技能・リソースに依存するため、最初から時代遅れでプリミティブなものとしてみなされた。

  • NCは1949年にジョン・パーソンズによって発案され、1952年に空軍はMITとの契約によって最初のNCフライス盤を製作させた。

⇔複雑な加工には理想的だったものの、(複雑さの)要求がそこまで厳しくない大多数の金属加工の注文にとっては理想的では必ずしもなかった。+ソフト開発にも多額の費用がかかる。

  • 金属加工業界の製造上のニーズという観点からすれば、大半の金属加工業務には前者(レコード・プレイバック等)を、補助金が出る軍事の仕事には後者(NC)を、というように両方の技術を並行して進めることが合理的であったはず。

⇔実際には空軍の要求が支配的となり、全ての企業がNCへと参入した。そして、金属加工業界全体にとって普及しやすい経済的な技術(ex レコードプレイバック)は放棄された。

  • NCは高価(ソフト、ハード、維持管理)であり、金属加工業界への普及は遅かった。契約制度は、費用を負担できる向上を優遇したので、資本の集中を助長した。

多くの加工施設では1970sまでNCの恩恵を得られなかった

  • NCは、機械メーカーの商業的競争力を損なわせた。

⇔フランク・プレス(大統領科学顧問)は、軍事用NCは「スピンオフ」すると主張し、議員を宥めていたが、リッター下院議員は日本とドイツが(軍用ではなく)商業用の機械に投資していることを指摘。

  • アメリカの製造業者が高度に洗練された機械とAPTソフトウェア・システムに集中していた一方で、日本とドイツのメーカーは、機械設計とソフトウェア・システムにおける安価さ、利用しやすさ(アクセシビリティ)、単純さを強調した[7]

→1978年、米国は19世紀以来初めて工作機械の純輸入国となり、我々は今なお競争できていない。

  • NCは、技能の低下、地位の低下、無気力化といった悲惨な結果をもたらした。=自律性と主導権は、精密に規定されたタスクとコンピュータによる監視・監督に取って代わられつつある。
  • 軍事的要請は転換(ディスロケーション)と置き換え(ディスプレイスメント)、そして最終的には構造的失業に寄与する。社会的コストは、今やいたるところで労働者たちによって、目に見えず静かに耐え忍ばれている[8]

 

結論

  • 軍は産業発展において、性能、命令、近代的手法という3つの恒久的な痕跡を残している。これらは必ずしも悪影響ではないが、純然たる恩恵でもない。

☜軍の保護(aegis)のもとで何が起きているのかを注意深く見極める必要がある。

  • 兵器局の画一化システムは「進歩」を象徴するように思われるが、当時そのシステムはどれほど合理的で、社会的コストはどれくらいのものだったのか[9]
  • 経済的利益とは具体的に何であるのか?誰のための何のための進歩なのか?
  • 社会としてどのような「進歩」を許容できるのかを根本的に問わなければならない。

 

 

評価

・上記のような重要な論点を含んでいる一方、根底にはマルクスの労働疎外論的な問題意識が横たわっているような感じがし、新しさを感じない論調。

・ただし見逃せないのは、アメリ中産階級の崩壊(地位の低下など)とその後のトランプの当選とどの程度相関があるかという点である。

 

[1] 軍部が民間経済の「外部」であるとは必ずしも言えないという点は全く同意である。しかし逆に、戦前の日本軍の場合は、民間経済にとって「中心的」な存在であったかというと、それも正しくないだろう。むしろ、その間が切れ目なくつながっていたという感じだろうか。

[2]海軍工廠における伍堂卓雄によるテーラー主義の導入・実践は、まさにこの議論を裏書しているだろう。

[3] こうした特徴を持つ軍が民間企業と契約を結ぶことで、3つの特徴が産業全体に支配的・恒久的な痕跡を及ぼすという議論は、日本の場合にはおそらく当てはまらない。なぜなら、軍用製品は民間製品の転用で成り立っていた(少なくともそういった分野があった)からである。

[4] これは日本軍の場合では、「軍の文脈」でも求められていたことである。

[5] 本当にそうだろうか?業界、業種、規模によって違うだろう。いわゆるバッチ生産といった中間的な手法もある。スケール・メリットが効く分野とそうでない分野がある。

[6] 著者のこの主張は重要かもしれないが、首肯できない。物流全体から見れば、コンテナ革命は著者が「労働者の文化の壊滅」という側面をはるかに超える経済的・社会的利益を産んだと想像されるからだ(著者は、その経済的利益とは誰のための何のための?と反論しそうだが)。コンテナ革命は、作業員(労働者という言葉はあまり使いたくない)にとっても、+になっていくはずだと思うが、これについてはまた『コンテナ革命』などを読む必要があるだろう。

[7] 大変興味深い論点である。日本のNC工作機械(安価、利用しやすさ、単純さ)は、米国の冷戦型工作機械(高コスト、高機能)とどのように違っていたのか?性能や価格はどれほど違っていたのか?米国から日本への技術移転はあったのか?気になる点がたくさんある。

[8] ラストベルトなどにおける工場閉鎖、地域産業の空洞化などによるアメリカ労働者の不満と関係しているのだろうか。あるいは、そうだとすれば、これはトランプの台頭と関係しているのだろうか。

[9] おそらく本論文で最も重要な点は、ここだと思う。つまり、ラトゥールが言うように、コンテナやNCが「進歩」であり、「合理的」であるとされるのは、ブラックボックスが閉じた後のことなのであって、黎明期(同時代)にはその合理性は必ずしも自明ではなかったかもしれないということだ。本稿の主張に寄り添えば、それは軍にとって「合理的」なのであって、民間産業全般にとっては非合理であるということになろうか。こうした「時間軸」を含めた解像度の向上は、歴史学が貢献しうる最大の武器である。

 

 

 

 

励起、十五章

第十五章 ボーアの来日と相補性

  • ボーアの来日:仁科にとっては、資金集めをし、事業を実施する経験(裏方のオーガナイザーの経験)となった。=仁科自身の研究における資金集めと大型プロジェクト実施の準備するもの。
  • 最初に東京電気の山口喜一郎(社長)に資金提供を打診しているが、援助を得られなかった[1]
  • ボーア家の不幸も重なり、来日が延長される。

→1937年に実現。⇔アインシュタインショックのようなことは起きなかった。

→それでも物理学界では大きな反響を呼ぶ。原子構造論、二重スリット、相補性、数式化の話、生命の問題への応用など。日本各地を回る。

☜講演はかなりうまく行った。周到な準備をし、「熱心で親切な」講演と受け止められた。

→仁科自身も、「私たちにも科学で一流になれるチャンスがまだ残されているのではないか、と感じるようにな」った。

  • 同情的な反応:仁科、田邊(弁証法の枠組みから主観と客観の問題に焦点を当てている)、藤岡(不確定性原理とほぼ同じ意味で理解している。また文人科学者の伝統の中で論じている=「妖気」)。

批判的な反応:武谷(唯研は1938年に解散し、マルクス主義の立場からの批判は武谷で終わる)、富山(物理学者の立場から波動関数で表せばよいとする見解)。

  • 出版、ジャーナリズムの土壌の上に、ボーアの来日が実現した。

⇔相補性が日本で直ちに受容されたわけではない。

;極東の日本の伝統と量子論哲学との間に何らかに関係があると示唆される場合もある(ex 湯川)。

⇔日本の物理学者たちにとっても相補性は難解で、自明ではなかった。加えて、日本の知識人もマルクス主義など、西洋哲学の伝統の中でそれを理解していた。

  • むしろ、異なった集団が異なった文化を持つのは、偶然の帰結にすぎない。全く異なった自然環境に植え付けることができる花のようなもの。

=日本が文化的に量子力学に向いていたのではなく、さまざまな偶然的条件が量子力学の研究という活動を日本に植え付け、それを成長させることを可能にしていた。

⇔それでもそれが欧州と同一の環境であったわけでもない。「独自の」(≠東洋固有)状況であった。

 

[1] 東京電気は当時最大級の民間研究所を持っており、その中には理学士が多く働いていた。彼らは日本数学物理学会にも所属していたが、量子力学とは距離があったのかもしれない。

 

 

 

励起、十四章

第十四章 量子力学の哲学と戦前日本の知識人たち

  • 量子力学の提示する世界観はあまりにも非直感的。→多くの哲学的議論を引き起こす。
  • 本章では、日本の知識人によって議論された量子力学の哲学に着目するが、彼らの思想自体を掘り起こすわけではない。むしろ、彼らが量子力学の哲学について考え、それについての言説を発表したという行為を浮かび上がらせ、その動機や帰結を当時の文脈の中で理解することを試みる。
  • 1920s-30sにかけて量子力学の基礎についての問題を論じた人たちは、

(1)物理学者;物理的理解のために、観念論的な問題の議論が必要。

(2)文人科学者;エッセイの素材となる。

(3)科学ジャーナリスト;ニュースバリューが高い時事的な話題。

(4)京都学派(哲学者);科学哲学的関心。

(5)マルクス主義の思想家;〔自然弁証法との整合性〕

に分けられる。視点・立場が複数あり、反応も多様

  • 特に、場としての雑誌の誕生が重要。科学ジャーナリズムの誕生をもたらす。伝記なども。

石原純因果律の問題を書く。=量子論においては古典的な意味での因果律が成り立たない可能性を指摘。

仁科芳雄は1929年に電気学会で「量子論因果律に就て」という講演を行う。

☜物理学の発展に精通していない工学者らにむけたもの。依頼者の澁澤元治は、「よくわかるように話をせよ」と注文した[1]

→仁科らは原点に即して不確定性関係や相補性について理解し、それらについて書き、話をしていた。

物理学の研究をするのに忙しく、哲学的な問題に関心を払うどころではなかった[2]

  • 教育上の理由から、量子力学の基礎についての関心が持たれるケースもある。

Ex 坂井卓三『量子論』(1930年)

  • もう一つは随筆というジャンル。

寺田寅彦;科学に対して審美的な態度を持ち込む。科学についての形而上学や認識論との関係において批判的に評価することで、はじめて本当に理解できると述べる。

→主観/客観の交錯は、エンゲルスによる自然弁証法で言われているような物質的自然自体の弁証法ではなく、物質的自然と精神的意識との間の弁証法である。

≠自然弁証法。むしろ「自然の弁証法」というべき。

⇔長井や武谷:観測によって状態が決定されるのは主観の作用ではなく、量子力学という物質の法則に従うものである。

→武谷は複雑な立場をとる。物理学者として量子力学を否定できる立場にはない。一方、ボーアの「観念論的」な側面に気が付かないわけにもいかない。

 

[1] 電気学会と量子力学との関わりはどの程度あったのだろうか?こうした文面から見ると、工学サイドは(この時点で)量子力学に関してはほぼ素人といった印象を受ける。

[2] これはもちろん、科学哲学は科学者自身がすればよいのではという主張への反論にもなる。要するに、科学者には哲学する時間がないということ。

 

 

 

励起、第十一、十二章

第十一章 エックス線から宇宙線原子核

  • 初期の仁科研の実験物理学(エックス線化学分析)が、どのようにして宇宙線原子核へと展開していったのかを追いかける。
  • 化学出身の吉田早苗、竹内柾が加わり、仁科研においてエックス線解析を化学研究に応用する方向での研究がスタートする(1931年)。
  • 嵯峨根遼吉(長岡半太郎の五男)が1931年6月に仁科研に入るが、これが最初の物理出身者。ラザフォードのもとで学んでおり、原子核実験に関しては仁科よりも上手。
  • このときちょうど仁科は原子核の問題に関心を寄せていた。

量子力学完成後の研究プログラム:

(1)分子(>原子)を扱う

(2)原子核(<原子)を扱う

☜仁科はキャベンディッシュ時代から(2)に精通していた。

→1931年の電気学会の講演において、(2)の発展について話す。

化学分析への応用だけでは飽き足らず、原子核宇宙線に手を出したかった。そこに嵯峨根がやってきた。

ウィルソン;過飽和した蒸気の中を電離作用のある放射線が通過すると、その経路で水蒸気が凝結して水になり、可視化される。→霧箱へ。

⇔絶縁していても電離が生じることもある。

→ヘス;電離箱を用いて、それが空からくる未知の放射線に由来することを実証。実際には1927年に宇宙線の軌跡が捉えられる。

⇔正体については謎だった。

→コールヘルスターが宇宙線は荷電粒子であることを1928-29年に発表。

  • 宇宙線研究は、地球物理学的な現象でもあった。=日本のローカルデータに独自の価値がある。また取り掛かりやすい。

☜仁科が1931年時点でこれに目をつけたのは慧眼だった。同年10月以降はエックス線を中止し、宇宙線にシフト。ガイガー=ミュラー管、霧箱を製作。1932年には撮影できるようになる。仁科研でのこの研究は世界の前線へもう一歩のところまできていた。

中性子は、実験手法にも革新を引き起こす。=より低いEで原子核の壊変を起こすことができるようになる。

  • (1931年には重水素も発見される。)
  • さらに重要なのは、陽電子の発見。

ディラックの相対論的電子論では、負のエネルギーを持つ解(E= -√p2c2+m2c4)があり、これが正の電荷を持つ電子の存在を意味することが1930年にはわかっていた。

→1932年にアンダーソンが1000枚の宇宙線霧箱写真を撮り、その中に陽電子(1933年)を発見する。

  • 仁科らの宇宙線研究はこのブームよりもわずかに先んじていた。ブラケットらの装置と同じ原理のそれを、嵯峨根らが独立に作ってもいた。

⇔同じ霧箱写真の飛跡をみて新たな解釈をし、新たな実験を編み出して検証するという点で、仁科らはアンダーソンらに劣っていた。

  • また、同時期には実験装置の革新も起こっていた。

サイクロトロン原子核反応を人工的に起こすためには、荷電粒子を加速して大きなエネルギーで原子核に衝突させる必要がある。

→1931年に磁場の中で荷電粒子を加速させるサイクロトロンの試作品がローレンスのもとで完成していた。キャベンディッシュでも原子核実験が進展。

  • こうした宇宙線原子核物理学の相次ぐ発見、実験手法の発展の中、仁科は原子核の実験へと舵を切っていく。

→1932年頃から開始。1933年以降はコッククロフト=ウォルトン装置などの製作が試みられる。

;外国からは高価すぎて購入できないので、国内で作る。

⇔もたつき台北帝大の荒勝文策にさきこされる(1934年)。

  • サイクロトロンの製作にも着手される。東京電気の短波送信管(SN-167)が早速サイクロトロンに利用されていく。
  • 仁科が宇宙線に目をつけた理由:(1)日本という地理的な不利を強みに転化させる可能性に注目した。

(2)仁科が電気工学出身であり、大出力の装置設計に馴染んでいた。

 

第十二章 理論研究の始まり

  • 1932年に仁科は朝永をリクルートする。1933年に坂田昌一が加わり、仁科研の理論班は3人となる。
  • 主要課題=電子や陽電子の生成/消滅を計算すること。特に、陽電子の発生確率。

⇔朝永らが論文をまとめる前に、ゾンマーフェルト門下の理論家たちが同じ問題についての論文を発表してしまう。(ex ベーテ、ハイトラー)

  • 原子核の理論的研究についても並行して進められる。交換力。

;共同研究者は計算を並行して行い、毎日その結果を突き合わせるといった方法を理研でも行う。

  • ディラックの『量子力学』の翻訳も共同で行う。1935年からおこない、1936年には岩波から出版される。

→日本の物理学の学生が量子力学を学ぶ上で極めて大きな役割を果たす。

(⇔ハイゼンベルク量子論の物理的原理』は実現しなかった)

  • 朝永:論文を仕上げても論文を仁科がなかなか発表してくれないことに不満を抱く。独立しなければならない時期に近づく。

→1937年のドイツ留学へ。

 

 

 

励起、第十章

第十章 仁科研究室創設と「コペンハーゲン精神」

  • これまでも、仁科が量子力学を日本に持ち込んだわけではないとの指摘がなされている。

量子力学をその理論的中身と把握すれば正しい。

:当時の日本ではすでに量子力学の知識を得ようとすれば得ることは可能だった。

それに加えて仁科がやったことは何であり、彼が持ち込んだものは何であったか

→研究の基盤・環境を作り、指導すること。

  • 本章では、仁科がつくった研究環境と、そこでなされた研究活動の特徴に焦点を当てる。ボーアグループとの比較も視野に入れる。
  • 仁科:1931年7月1日に理研主任研究員になる。

;理論・実験の両方の分野で数人という小規模から始まり、次第に規模を拡張していった。

→研究活動の中心となったもの=コロキウム、セミナー、食堂など。

☜「率直に意見や疑問や批判をぶつけ合うディスカッションの方法をおぼえた」(三宅)。

  • 自由さ=義務や規則のなさが研究室の雰囲気(「科学者たちの自由な楽園」)。

;インフォーマルな雰囲気の中で、無遠慮な質疑や、活発な討論が行われる。

⇔大学;沈滞した封建的な、重苦しい雰囲気。

こうした「流儀」を押し通す人物を要職に受け入れる文化が日本の物理学の中にあり、その源流の一つが仁科グループだった。

  • それは仁科だけではなく、共同的な実践だった。

⇔男性だけからなるマッチョな集団の文化でもある[1]コンピテンシーの低さ、批判に傷つく心の弱さを許容しない。

  • 散歩しながら議論する。☜ハイゼンベルクとの経験を日本でも同じようにやろうとした。
  • 理研の研究者たちはお互いにあだ名で呼び合う。(ex 仁科=「親方」、朝永=「シャコさん」)

集団内でのみ通用するあだ名は、帰属意識と結束を高め、相互距離を縮めた。インフォーマルで遠慮のない議論を促進し、悪感情が生じるのを防いだ

  • コペンハーゲン・ガイスト:集団の中で、個人の間に漂ってくる超個人的なもの、さまざまな人々の意見の間にうまれてくるもの。

個人ではなく「ガイスト」が研究の主体にすらなってきた[2]

☜このガイストが漂う場の中で個人が大きく成長することができる。

  • ただし、こういったやり方を身につけて帰国していたのは仁科だけではなく、他にも菊池正士(ボルンのグループ)、藤岡由夫(ライプチヒで遊びと研究が一体になった文化を体得していた)もいた。

⇔それでも、菊池や藤岡、若手らがそのように振る舞うことを容易にする環境を作るのに決定的な役割を果たしたのは仁科だった。彼は意識的にボーアの研究所のやり方を取り入れ、同じような雰囲気を作ろうとした

  • ただし、それは同じ作法を取り入れることではない。あくまでの学術的な内容において同じような研究活動を実現することが目的。あだ名で呼び合うことなどは、仁科研に独特な文化だった。
  • また、国際性や使用言語においてもボーアのグループとの違いがあった。
  • 当時の日本には意欲的な若手が量子力学を独自に勉強していたが、それを指導する能力のある教師が欠けていた。そこに仁科が出現。彼は理研にいた同じ方向性を持つ研究指導者もいて、その下の若い研究者が相互に協力しあう環境ができていた。
  • また量子力学の誕生と、1930sに原子物理学が急速に発展したことで、後進国日本にとっての参入障壁が下がったことも重要。
  • 仁科のよるテーマの選定は的確であり、先々の発展をよく見越していた
  • コンテクストの再現;空気ポンプという装置を再現するには、装置の基盤となる社会的・文化的・技術的コンテクストをまず再現することが重要である

→この議論を踏まえつつ「共鳴現象[3]」というモデルを提唱する。

;ある固有振動数を持った音叉を二つおき、一つを鳴らすと、もう一つにも振動が伝わる。この場合振動が伝播するためには、音叉のほうにも条件(=同じ固有振動数を持つこと)が備わっていなければならない。

共鳴を起こしうるような社会的、技術的、文化的状況が形成されたとき、ある媒介がトリガーとなって共鳴が生じる

Ex 量子力学を独学する若手がいた(あるいはそれ誘発し誘発される文化があった)、理研に同じ方向性を持つ研究指導者がいた、といった条件のもとで、量子力学を研究するための技能知をコペンハーゲンから持ち帰るというトリガーが引かれたことで、共鳴現象(原子物理学の研究が発展)が起きた。

同モデルのメリット;

(1)認知内容・技能がある場所から他の場所へと移動するという単純な見方を拒否できる点。

(2)同じコンテクストが再現される必要がない点。(ex あだ名の習慣は、それ自体が量子力学の研究を可能にするわけではないが、コペンハーゲンでの科学的実践を再現する上ではあった方がよかったという類のもの)

 

[1] 確かに物理研究においては正確に突き詰めて考えることは欠かせないと想像されるものの、実際にこのようなマッチョイズムだけが、物理研究に適した文化だとも思われない。

[2] 共同研究の「質的」側面を初めて考えさせられた気がする。1930年代以降は、日本の研究制度の中での(おそらく下巻で論じられるのだろうが)学振などの「共同研究」の仕組みが実施されていく。だが、この場合の「共同」とは、仁科研における「ガイスト」と本質的に違うものなのかもしれない。

[3] 個人的に本章の内容を読んで想起したのは、伊東俊太郎がトレド、シチリアなどにおいて「12Cルネサンス」が生じた理由を説明する上で「種子と土壌」の比喩を用いていたことだった。12Cはどうしてそのときその場所で起きたのか?それは、表面的にはレコンキスタといった政治的出来事がトリガーになっていたかもしれないが、その背景には、アラビアの知識に関心を抱く(そういう書物があると聞くと遠方から訪れ、翻訳を行うような)「知識人」という層がすでに広く誕生していたからだという。つまり、そういう土壌に、レコンキスタという種が撒かれたことで、知の再編が起きたという説明だったと記憶している。仁科の帰国と、その後の量子力学の展開も、この「種子と土壌」の比喩でもしっくり来る気がする。