yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

Thomas P. Hughes, “The Evolution of Large Technological Systems" (2012)

Thomas P. Hughes, “The Evolution of Large Technological Systems, ” (Bijker, Hughes, Pinch ed., The Social Construction of Technological Systems- New Direction in the Sociology and History of Technology, (MIT Press, 2012))

  1. Definition of Technological Systems (技術システムの定義)
  • 技術システムは厄介で複雑で、問題解決型の構成要素を持っている。それらは社会によって構築されると同時に、社会を形成する。
  • 技術システムは、人工物(発動機、送電線、トランスなど)と、組織(電力会社、銀行など)が含まれ、他に「科学的」とみなされる要素(教科書、論文、教育制度)も含まれる。法的な要素も含まれる[1]
  • ある構成要素が取り除かれたりその性質が変化したりすると、システム内の他の人工物もそれに応じて特性を変化させる。(ex モーターの負荷が変われば、送電、配電などの要素も変わる。) (ex 電力の人工物がDCからACに変わると同時に学校教育のプログラムのAC中心にものに変化したなら、両者の間にはシステムの関係がある。)
  • システム構築者は、人工物のみならず、組織(形態)も発明・開発する。システム構築者の特徴は、混沌から一貫性を強制し、多元性に直面したときにそれを中央化し、多様性から統一性を構築する能力である。
  • 組織は人工物を選び、人工物が組織を選ぶ。とすれば、従来、「社会的」とラベリングされてきた「組織的」な構成要素はシステム構築者の創造=人工物で(も)あるから、社会的要素を「環境」や「文脈」として規定する習慣は避けるべきである。
  • システム制御者にとって、理想的なシステムとは「閉じたシステム」=外部の環境を持たないシステムである。この場合、官僚主義、ルーティーンに依存し、不確実性を自由を排除できる。また、高度な予測も可能である。
  • 技術システムに関係する環境:
    • システムが依存する環境
    • システムに依存する環境

どちらも一方向の影響力しかもたない。∵環境はシステムの管理が行き届かない外部であり、相互作用しないから。

 

  • システムはいかなる手段を使ってでも問題を解き、目標を達成する。そしてその問題は、少なくとも技術システムの設計者・行使者にとって、有用で望ましい仕方で物理的世界を再度秩序づけることに関係している。
  • システムは人工物・管理者によって行使される管理の限界によって束縛される。Ex 電力・電灯システムの場合、電力供給センター(通信と管理の人工物とスタッフを伴う)がシステム管理の中心である。同時にそれは、他の電気事業体や銀行、製造業者、株式会社の管理の下に置かれている。
  • 近代システムの建設者は、労働者の自発的な役割やシステムの行政職員の役割を最小化すべく、官僚化し、熟練労働者を不要にし、ルーティーン化する傾向にある。Ex テイラー主義

←技術システムの人間の役割=システムのパフォーマンスとシステムの目標との間のフィードバックループを完成させ、システムのパフォーマンスのエラーを修正すること。

  • システムを記述・定義する者は、システムがもつ階層構造に注意し、関心のある分析レベル=サブシステムに区切る必要がある。

Ex 人工物だけのシステムに区切ることもできるし、人工物と組織のシステムに区切ることもできる。

←分析レベルのシステムは、同時にサブシステムでもあることを念頭に置くべき〔≒システムの入れ子構造

  • システムの定義や記述に際してのレベルの選択は、政治的である可能性がある。

Ex 電力・電灯システムを分析する際に、外部の社会コストは無視される。

  • システムは入力と出力を持っている。(ex 発電システム:運動エネルギー→電気エネルギー)

 

  1. Pattern of Evolution (進化のパターン)
  • 大規模近代技術システムが、緩やかに定義されたパターンに沿って進化するように見える。「ほとんど」とか「主たる」と言えるほどサンプル数があるわけではないが、電灯・電力システムの進化は、以下のようなパターン(=モデルよりも緩い概念)を示しているように思われる。

段階

主催者

活動

発明

発明家=企業家

「決定的問題」を解く

開発

技術革新(イノベーション)

経営者=企業家

意思決定を行う

技術移転

発明家=企業家
経営者=企業家

新しい状況に適応する

成長

経営者=企業家

意志決定を行う

競争

統合

財政企業家、
コンサルティング技術者

決定的問題(?)を解く

 

  • システムが成長するにつれて、スタイルと運動量を獲得する。

スタイル:移転と並んで使用する概念

運動量:成長、競争、統合と並んで使用する概念

  • これらの段階は、一方向に連続的なものではなく、重複したり、元に戻ったりもする。(ex 発明、開発の後に、また発明があることもある。技術移転はイノベーションの後に来ないこともある。)

=一連の段階においていくつかの活動が支配的であるから、これらのパターンが識別できるのである。

 

 

  1. Invention (発明)
  • 発明
  • 急進的な発明:新しいシステムを創始するもの。組織によって育成されることはめったにない。(ここでいうradical には、重大な社会的インパクトをもたらすといった常識的な意味はない。そうではなく、既存のシステムにおいて構成要素を持たない発明という意味である。)
  • 保守的な発明:既存のシステムの改良・拡張。
  • 19C末から20Cにかけて、急進的な発明を多く成し遂げたのは、独立した職業的発明家(independent professional inventor)である。彼らの発明は、のちに大きな組織の育成下に置かれることになった。
  • 急進的な発明は新しいシステムを開始するが、それらは、それ以前にすでに存在していたが技術革新には失敗した類似の発明の改良であることもある。
  • 「独立」、「職業的」という言葉は、発明家という概念に複雑さを与えている。

独立発明家:産業界や政府の研究所などの組織から解放され、自由に問題を選択することができる。独立発明家は自分自身の研究施設を持つが、それらは既存のシステムに縛られるもののではない。

職業的発明家:長い一定の期間において、彼らの発明的活動が一連の商業的成功によってサポートされる発明家。「独立」発明家の全員が「職業的」発明家であるわけではない。

  • 高い慣性を持つミッション志向型の組織によって選択された問題に集中しないという点は重要。彼らは心理的アウトサイダーのメンタリティを持っていて、技術変革のスリルを求めている。そして彼らは漸進的な改良ではなく、劇的なブレイクスルーを成し遂げる。←大きな組織から距離をおいた。
  • 彼らは問題選択の自由度はたかいものの、問題を特定する上での困難を抱えることもある。その際、大学の学者が、彼らの問題特定のきっかけを与えることがある。Ex テスラの多相交流

;学者たちも独立発明家と同様に産業界に縛られることがなく、技術的・科学的文献に精通していたから、想像力が自由に広がる。

  • 独立発明家は、技術文献・特許などを発表することで、商業的価値を広く認知させる。そしてこの発表がある集団に発明的活動の場所を知らせ、集団を変革させる。
  • 独立発明家は、問題選択の自由を得るだけではなく、組織的な財政支援の重荷からも解放された。
  • WW1前、軍拡競争(とくに海軍)が激しさを増すにつれて、発明家らは開発資金を政府に求めた。これらは飛行機、無線などの最新技術の成果物を供給する契約として結ばれた。政府は、実験的な設計のいくつかのモデルを契約した。この契約からの収入によって、発明家はさらなる開発へ投資した。軍と契約を結ぶために、発明家の多くは金融業者と連携して小さな会社を設立した[1]
  • 独立発明家の「エウレカ」については十分に研究されていない[2]。ただし、彼らはしばしば発明を「アナロジー」の比喩で語る。アナロジーは、既知から未知へ創造を運ぶものである。歴史家と社会学者は心理学者とともに創造行為の探求に参加すべきである。

 

  1. Development (開発)
  • 急進的発明がうまく発展すれば、技術システムにおいて頂点に達する。一人の発明家が技術システムの直接の原因となる全ての発明に全責任を負うこともあれば、同じ発明家が新技術システムが使われるまで(技術革新の段階まで)主催する場合がある。この場合は、彼は発明家=企業家と呼ばれる。
  • 発明家=企業家は、彼らの発明は、それが使われる世界において生き残るために必要な経済的・政治的・社会的特徴を発明へ体現させる。=頭の中でイメージできるくらいに単純な環境で機能するものから、たくさんの要素が浸透する複雑な環境でも機能するものへと変化する。

←そのために、試験・実験環境を構築する。

  • 経済的・政治的な性格が発明に与えられた例:エジソンの電灯システム=アーク灯と価格面で競争力を持つようにされた。
  • 大きな組織的な発明・開発システムが、サブシステムを複数の職業に割り当てるが、その中には大学の物理学者も含まれる。彼らも開発の能力に長けているということが示されており、特にWW2までは組織の縛りから比較的自由だった。19C以降、彼らの緩急課題の定義は、産業部門に求める傾向にあった
  • 科学者と技術者の関係は、システムの観点からみると曖昧である。

 

  1. Innovation (技術革新)
  • 発明家=企業家の多くは、製造、販売、サービス施設を自ら設立した。∵その初枚は既存の製造者が製造に必要な機械、プロセス、組織を提供することに難色を示すことが多かった。

→発明家=企業家は、(製品だけではなく)調整された製造プロセスも発明・開発した。他方で発明が保守的(現在進行中のシステムの改良)だった場合、メーカーは発明の製造に興味を示すことが多い。

  • エジソンが設立した企業の組織図が複雑な技術システムの概要を示している。メーカーが需給組織を吸収することで、システムの内部/外部の対立が解消される傾向にある。
  • 技術革新が起きると、発明家=企業家は、活動の中心から消える傾向がある。(∵発明家と経営者の視点の対比)

 

  1. Technology Transfer (技術移転)
  • 運動量による複雑性を持っていない技術革新の直後の「技術移転」は、おそらく移転の最も興味深い側面を明らかにする。システムは通常、特定の時代・場所での生存に適した特性を持っているので、別の環境に移転する際にはさまざまな困難が生じることが多い。
  • Ex ゴラールとギブスの変圧器:1882年電灯法に適応するもの。

ハンガリー(ガンツ社)へ移転。ガンツのシステム用に設計しなおし、変圧器のような複雑な特性を必要としないハンガリーの事情に適合させた。

アメリカ:ウェスティングハウスはスタンレーを雇い、ゴラール&ギブスの変圧器を基礎とした変圧システムを開発。大きな市場を見越した大量生産に適合させることで、アメリカ流のスタイルを与えた。

  • 法律と市場が移転にさいしての重要な要素。加えて、地理的・社会的要素も重要。
  • また技術移転には、人工物だけではなく、組織も含まれる。

 

  1. Technological Style (技術スタイル)
  • 異なった環境への反応が適応であり、環境への適応はスタイルにおいて頂点に達するので、「技術移転」の探究は、「技術スタイル」の問題を導く。
  • 美術史・建築史では、しばしば個人や国家の性格(+時代精神)に由来する「スタイル」について述べてきた。

⇔技術史・技術社会学では、「バロック」などといった長く確立された強固なスタイルの概念がないので、スタイル概念に利点を見出せる。

:スタイル;システム構築者の自由度を示唆する概念。SCOTの発想との合致。技術は場所と時代に適したものである必要がある。≠「技術=応用科学説」

国際的な技術プールがあり、工学によって起電力、抵抗、コンデンサ誘電率から理想的・抽象的な電気システムの法則や数式(=国境を越えるもの)を書いたりすることができることを認めてもなお、なぜ電灯・電力システムは、時代・地域・国によって特性が異なるのか?と問うことができる。

Ex ロンドン:小さい発電機がたくさんというスタイル

ドイツ:大きな発電機がちょっとというスタイル

法律の規制(政治的価値):ロンドンは自治体に規制を与え、政府の権力を維持。ドイツは地方に権限を委譲。

  • 天然の地理的条件のスタイルを形成する。しかし、国家レベルの規制が発動すると、地域的様式は国家レベルに統合される。
  • 歴史や経験もスタイルに影響する。

Ex ドイツ:WW1以後のベルサイユ条約に基づく炭鉱の制限→褐炭と大型発電ユニットに依存したケルン地方の発電所の地域的スタイルを形成。

 

  1. Growth, Competition, and Consolidation (成長、競争、統合)
  • 技術史家は、技術システムの成長の原因を深く探究してこなかった。「規模の経済」を原因とする説明は、不十分である。
  • むしろ、技術システムの拡大は、高い多様性と負荷率(load factors)、良い経済の混合に由来している。
  • 負荷率=平均電力/最大電力× 100

:19C後半から使われ始めた概念。曲線で定義すると、早朝は谷、午後の早い時間帯にピークを示す。負荷率は、資本主義的で利潤を計算する社会における資本集約的(capital-intensive)技術システムの成長を説明する主たるものである。

負荷率、経済、負荷管理の組み合わせが、拡大する電力システムのエンジニア管理者にとって、知的な魅力(エレガントなパズル解き)の側面を持っていたことは理解できる。〔負荷率が高くなるようにするパズル〕

  • システムが成長すると、逆突出部が出現する。=システムの構成要素のうち、他の構成要素に遅れをとっているもの。≠ボトルネック(∵幾何学的に対称的すぎる。逆突出部は、より複雑で不均一な性格を持つ。)

※システムが成熟すると、逆突出部は組織的なものである場合が多い。

  • 発明家のコミュニティが逆突出部の場所に集まる。

←ある業界の企業は、ほぼ同時に逆突出部を経験するから。

逆突出部は、発明家、技術者、経営者、資本家、法律家など、適切な問題解決者の出現を促す。

  • 20Cに出現した工業研究所(industrial research laboratories)は、保守的な発明に特に効果的であることがわかった。

:工業研究所の問題選択は、それが保守的な発明にコミットしており、急進的な発明には無関心であることを示唆している。

Ex GE研究所のラングミュアは研究課題の選択に格別の自由が与えられていたが、彼でさえもGEが製造ラインを拡大するにつれ、GEが遭遇する実用性の高い問題を軽視することはなかった

Cf ホイットニー:「ビジネス・ニーズへの対応」という方針を追求[3]

  • 既存のシステムの中で逆突出部を修正できない場合は、新しい競合するシステムをもたらすかもしれない。

Cf エドワード・コンスタント「推定上のアノマリーpresumptive anomaly」:ある条件下で、従来のシステムが失敗するか、根本的に異なるシステムがはるかに優れた仕事をすることを示すときに、「推定上のアノマリー」が発生する。

推定上のアノマリーは、逆突出部と似ているが、前者の場合は、それを特定する科学の役割を強調するものである

  • システムの戦い:1890sには、ACとDCの相互接続を可能にする装置の発明で頂点に達する。=万能システム≒AT &Tの電話網[4]〔ベル・システム〕
  • 同時期には、技術的ハードウェアが業界で標準化され、周波数、電圧、器具の特性なども標準化される。

 

  1. Momentum (運動量)
  • 技術システムは成長と統合を経て、(自律性ではなく)、運動量(momentum)を獲得する。システムは技術的・組織的構成要素の塊であり、方向性=目標を持ち、速度を示唆する成長度合いを示す。それはあたかも、技術システムが自律性を持っていたと思わせるものである。運動量に関係する概念には、既得権益、固定資産、埋没費用などが含まれる。
  • 運動量≒軌道(trajectory)の概念。特性が持続すること。

;耐久性のある人工物は、それらが設計されたときに獲得した、過去に社会構成された特性を、未来に投影するものである。

  • 技術システムが発展すると、自律性をもち、システムの外部の環境の影響を受けない「閉じた」システムになるように思われる。

⇔自律性の外見は、いい加減なもの(deceptive)である。

Ex イギリスの電力システムの発展(1926年以前と以後で全く変わる。)

Ex アメリカの原発の例:逆突出部は容易に修正されることはなく、環境団体、石油の供給、発電機の改良などは、電気事業体の管理者が想定していた「自律性」や「軌道」を覆すものだった。

  • 運動量は、歴史家に成長するシステムのパターンを理解するヒューリティックな補助を与えたり、経営者がシステムを予測するモデルを与えてくれるように思われるかもしれない。

⇔ 運動量は、自律性よりも有用な概念である。それは、SCOTのドクトリンと矛盾しないし、技術決定論を支持するものでもない。これは、構造的要因と偶然的出来事の両方を包含する概念である[5]

  • システムの成長だけではく、停滞のプロセスも、今後の歴史家によって研究されるべきである。

 

 

[1] デフォレストは、彼の「実験的な」オーディオンを日本海軍に提供していたが、その際も小さな会社を設立して契約を結んでいた。1910年代後半のことである。WW1前後の独立発明家の類型的なパターンといえるかもしれない。

[2] Goodingによる、エジソンの発明行為についての認知科学的研究が有名かと思われる。Hackingが高く評価していたそうだ。

[3] この段落の記述からは、工業研究所は「企業内研究所」を含むものと思われる。私の理解では、20Cのアメリカの企業内研究所とは、短期的なビジネスニーズ・利益に直結することを見越した「応用」研究所ではなく、むしろ長期的な展望を持つ「基礎的な」研究を行う場所として誕生したのであり、まさにその点が19Cのドイツのそれと異なる点であった。だとすれば、ここで説明されている工業研究所と保守的な発明の関係についての内容は、企業内研究所の本来の理念とは、一見矛盾するように見える。

[4] SAを強電ではなく弱電に応用した研究があるのかと聞かれることがよくあるが、一応、ヒューズは電話網もSAでアプローチできると見ているようだ。ただし、第三者による本格的な研究は現段階では知らない。ちなみに、AitkenはSAを全く採用していない。彼のフレームは、もっと別のものである。

[5] SAの運動量が技術決定論を支持するものではないことが明らかにされている。ここでの説明は、技術システムの行末は、偶発的な要因によって左右されるのであり、自律性・軌道を持つというのは当てにならないことを事実ベースで述べているようだ。ただ、もう少し論理的に考えると、そもそも技術システムを主催する経営者にとっての「目標」は、純粋に技術的な問題に還元することはできないという点を指摘することもできる。例えば、システムの主催者は、その国の法律に適合する方策を考えないといけないし、投資家に有望な会社であるように見えるようにしないといけない。これらは、技術的な問題だけに還元できない。つまり、システムの運動量、システムが向かう方向性は、技術の機能能率が向上するといった決定論的な方向性であるとは限らないのである。極限的なケースでは、技術の機能が「退化」する方向にシステムが運動量を持つことも考えられる。

 

 

 

[1] こういう言い方はされないが、「ハード」と「ソフト」の両方を含むと言い換えてよいかもしれない。

『電力の歴史』、6章。

 

第六章 技術的運動量

  • 1890sのうちに、多相システムは「運動量 momentum」を増していった。

:運動量の増加=技術/外の人、アイデア、機関の間のシステム的な相互作用が、大衆的運動と方向をもつ一つの技術=社会的システムの発展をもたらすようになる[1]

運動量の大部分は、メーカ→教育機関研究機関によってもたらされた。

→新しい世代の発明家・技術者が貢献する。

 

6-1 教育機関

  • 拡大していく電気工学の教育・専門化が、1890sに電灯・電力システムへの傾斜を強め、その運動量(momentum)を増した。

→技術教育機関は、どのようにして物理学と技術の実践とを橋渡ししたか

→「電気工学の科学science of electrical engineering」を確立する。=組織化・定量化・一般化された知識

  • 電気工学の教育機関の整備と、電気産業の形成は相互作用した。

→その結果、電気工学は科学的な性格を持つようになった。

  • 1862年モリル法。1882年に70、1899年に89の教育機関が工学の専門教育を実施。ドイツの場合はTHが科学に重点を置いた技術教育を実施。
  • これらのカリキュラムは、多相万能システムと長距離送電への移行、その運動量をどのように反映していたか?

:ベルリンではジーメンス、AEGがあることが、機械学、機械工学のコースを重視する原因となった。

アメリカでは1882年にMITが最初の電気工学の四年コースを設立。コーネル大学も1883年にアントニーを長とする電気工学のプログラムを設置。イギリスではエアトンが中央学院で電気工学の教育を開始(1884年)。

☜電気工学の創始者に共通する特徴=物理学を学んだこと。また、アカデミックでもコンサルタントの仕事でも、実地経験に重きを置いていたこと。

→電気工学のコースが科学的な傾向を帯びた理由を説明する。

  • 1884年のMITの電気工学コース:技術を科学の応用とみる物理学者の見方が反映されている。

→1899年には、交流機発電、電動機、変圧器が含まれるようになり、備品の大部分は多相交流の電灯・電力システムのためのものだった。

(英国でも同様の傾向。MITやコーネルと引けをとらない。イギリスの電気供給産業の遅れは量的なものであり、質的なものではなかった。)

 

 

6-2 研究機関

6-2-1 大学

  • WW1以前の米国では、大きいメーカーや公益事業体での実地経験は、学士以上〔修士・博士〕の勉学よりも優っているというのが一般的な意見だった[2]

多くの雇用者は、大学院での勉強を「大学のあたりをうろついて」時間を浪費すること、現実世界と面と向かうのを避ける手段だとみた。

⇔大学人たちが研究を行い、結果を発表していた。=工学の科学者。

  • 彼らは逆突出部に関係した状況の中で自分の研究プロジェクトを選んだのであり、進化しつつある純粋科学のパラダイムに反応して選んだのではなかった。

☜逆突出部=万能都市システム、高電圧送電の中に見出された。

Ex 大学人=ライアン(1899年):コロナの発生とそれに伴う線間の損失に影響する諸変数を精密に規定。

 

6-2-2 企業内研究所

Ex チャールズ・スコット:ウェスティングハウスの実験室で送電線現象を観察したのち、エネルギー損失が起きていることを発見。=「コロナ」と呼ばれるように。

→スコットとラルフ・マーションが、電圧レベルを変化したときに「線間」損失を人組の数表にまとめた。

→線間の電圧が「約5万ボルト」を超えると、高いレベルのエネルギー損失が起きることを示す。=逆突出部。

  • 1892年:所有特許を補い合うようにEGEとトムソン=ヒューストンが合併。

→93年にチャールズ・スタインメッツが雇われる。

スタインメッツ:ブレスラウ大学で数学の博論を完成、社会主義運動に加わり逮捕を恐れてスイスに亡命。チューリッヒ工科大学で機械工学を学ぶ。1893年に、AC回路の改正機に複素数の代数を適用することについての重要な論文を発表。

☜当時のアメリカの大学人・産業技術者は、経験だけによる研究を乗り越えて、技術上の決定的問題を解くのに数学的・科学的アプローチをとりつつあった。

  • 1902年(?)GE研究所が設立

∵①ヨーロッパからの技術的挑戦に対抗。

  • 市場での優位を確保するためには特許が重要。

→ホイットニー、クーリッジ、ラングミュアの仕事。

(ex タングステンフィラメントの研究には、1910年で54000$=GE研究所全支出の1/3が当てられた。)

  • ホイットニーは、自社の研究者たちを商業的活動から遠ざけるように、週ごとの討論会や科学論文の刊行などを行い、理学博士を持つ科学者たちが性に合っていると感じるような雰囲気を作り出した。

⇔彼らが生み出した結果は全て会社の財産になり、特許権も会社のものとなった。

  • ドイツではジーメンス=ハルスケ社が中央研究所(1920年)を設立。
  • これらの研究所が提供した組織構造は、進化しつつある電気供給システムの運動量を維持し増加するものだった。

 

6-3 協会や雑誌

  • さらに強化をもたらしたものは、専門家の協会の成長で、定期刊行物の刊行、年次集会、職業教育の推奨などを伴った。

☜科学者・技術者に高電圧送電の問題に向けさせる役割を果たした。

:AIEEアメリカ電気技師協会(1844年)、その機関誌『トランザクションズ』、『電気世界 Electrical World』、英国の電気技師協会(IEE)、『IEEジャーナル』、『エレクトリシャン』など。

 

 

[1] 技術史的に重要なのは、「運動量」と「技術決定論」(およびそれが含意する技術の自律的な前進≒unfolding process)との関係であろう。結論から言えば、この「運動量」の存在は、技術決定論を支持するものではなさそうである。

 なぜなら、運動量(モメンタム)は、純粋に技術的なものではないからである。運動量は、専門知とハードウェアが実践家集団(ex 大学人、企業内研究者)の利害関心の中に埋め込めこまれる限りにおいて機能する。つまり運動量は、技術的要素と社会的要素が組み合わさった概念であり、技術と文化の現実を深く結びつける概念なのである。(John M. Staudenmaier, Technology’s Storytellers- Reweaving the Human Fabric, Chapter 4を参照)

[2] 非常に興味深い指摘。日本でも同様の傾向があったかもしれない。大学院が研究機関として確固たる地位を確立する経緯はどのようなものだったのか。

『電力の歴史』、5章。

第五章 紛争と解決

  • 1880s末から90sにかけて「システム戦い」が生じた。

:白熱電灯市場における、低電圧のDC /単相交流

  • DCの「決定的問題」=送電コストの高さ

⇔ACの「決定的問題」=実用に耐える電動機(モーター)がなかったこと。

→本章では、どのように紛争が解決されたのかを検討する。特に法律を通じて行使される政治権力の関与に着目する。

 

 

5-1 ACシステムの電動機

  • ハロルド・ブラウンの戦略:街路に高圧の交流を流すことと、交流を使って電気処刑を行う動きとを結びつけた。「処刑用の電流が家庭に入ることを望みますか?」

⇔ブラウンの試みは「電力の戦い」の決着にはそれほど効果を及さなかった。

∵彼が活動した時期(1880-90)に、ウェスティングハウスのACシステムを使う中央ステーションの数が着実に増加していた。

 

  • ACシステムの問題=①実用になる電動機がないこと、②高い電流を使うので安全性を担保しなければならないこと。

→AC電動機においても「発明の同時発見」が見られる。(新規軸でなくなったときに、発明・開発はよく起きる[1])

☜逆突出部が認識されたことで、物好き(独立した発明家)発明が決定的問題の解決に利用されるようになった。

:イタリアのフェラリス、アメリカのテスラ、ドイツのドボウォルスキー、フランスのドプレ、スイスのブラウンなど。

(=超国家的)

  • ここで優先権が問題にされている発明の正体は?

交流多相電動機 

:①誘導電動機=非同期電動機、②同期電動機

②:回転子(ローター)に供給するための別個の直流電源を持っている。固定子(ステーター)の中の回転磁界の速度=電動機の同期速度

①:回転子は同期速度よりわずかに遅れている。

 

  • ニコラ・テスラ:1877年に直流発電機のブラシと整流子の間に強烈なスパークが発生し、要素が焼き切れてしまうことを問題視。

→ブラシと整流子をなくしてしまうような設計を探し求める。(ただし、このとき求めたものが発電機か電動機だったかはわからない。)

→テスラ電灯=製造会社を設立。

→多相システムについて、1887年10/12に最初の二つの特許が、11月にさらに3つの特許が出願。

:多相同期電動機と、誘導電動機の両方を含むもの。

☜直流システム;発電機に交流が誘導され、整流子によって直流に変えられ、さらに電動機まで配電されたのち再び整流子で交流へ変えられる。

→システム全体を通じて交流を使い、整流子をなくしてしまえば良い。

  • 整流子なしで、どうやって磁極を回転させるか

☞位相のずれた交流によって作り出される回転磁界を考案。

  • 整流子をなくし、②回転磁界を使用。=テスラの特許の要点(ただし、②はフェラリスの方が最初に思いついていたかもしれない。)

 

  • これらのアイデアを「経済的な多相システム」として実装したのが電機メーカー。=ドイツのAEG、アメリカのウェスティングハウス
  • 1880s始めに多相電動機とシステムが導入され、それ以前に変圧器が導入されていたので、交流システムは直流システムに対抗できるようになった。

☜DCの逆突出部である「不経済な送電」を直すことができた。

⇔人口密度が高い地域では、DCシステムが拡大し続けていた。

衝突は、連結(技術的なレベル)と、合併(制度的なレベル)によって解決された

 

5-2 連結

  • 争いの「技術的解決」に貢献したものは、回転変流機(rotary converter)だった。

☜これも発明の同時発見の一例。

回転変流機の発明を導いた逆突出部=古いシステムに投資された権益を維持する必要があったこと

回転変流機:直流を多相交流に変換し、それをまた直流に変換する。

古いシステムを新しいシステムに連結・統合する技術。

→1890s初頭に、万能システムuniversal systemが必要であると認識された。

発電機(供給)と色々な特性を持った負荷(需要)を包括・連結する統一されたシステム

上水道のシステム、電話システム、鉄道システム、(コンピュータ・ネットワーク)

→電灯の時代から、電灯と電力の時代へ。

 

5-3 制度

  • システムの戦いは、連結装置によってのみ解決されたわけではない。

☞制度的な取り決めも必要だった。

  • 合併
  • 技術的基準についての取り決め:メーカー間にあった順応性と妥協の精神が、最大の駆動力となった。

→米国の場合、ウェスティングハウス社のスタッフが周波数を規格化することで生産を合理化しようと努めた。

  • (2)→ドイツでは50サイクルに決定。
  • イギリスでは無秩序の状態が続く。

☜高度に特殊化された設計をもつことは、その製造業者と彼の設計者が「高尚な応用科学の一部門に従事しているのであって、産業ましてや商売をやっているのではない」。

  • 米国と独逸がシステムの組織変えを行なっていたときに、多相システムが長距離電力輸送に適していることも明らかにされていった。

☜フランクフルトの博覧会とフォン・ミラーの仕事。

:彼は博覧会を、広範な観衆に新技術を紹介するための有効な手段だとみた。

→ラウフェンからフランクフルトに至る実物大の送電システム。

1891年に動き出す。効率が74.5%であることが判明。

☞三相システムで動くこの送電システムが、二相システムに取って代り、基準のシステムとして確立される上で大きに貢献した。

  • 米国のナイアガラ計画へ。1895年に運転を開始し、96年に送電を開始した。

 

[1] これはクーンの「通常科学」の議論を想起させる。

 

『電力の歴史』、4章。

第4章 逆突出部と決定的問題

  • 本章では、技術者が「決定的問題」を解くことによって「運動量」を維持しようとした努力に目を向ける。特に、古いシステムの中の大きな問題を解決するのに失敗した結果として、一つの新しいシステムが出現するプロセス(the battle of system)に注目する。
  • 逆突出部(reverse salient):もともとは、「前進しつつある戦線(軍隊の前線)の一部で他の前進の部分とは繋がっているものの、背後に遅れ、うしろへ曲がっている部分を指す言葉。

≠隘路、不均衡

∵逆突出部は、極度に複雑な事態で、個人、集団、物質的な力、歴史的影響などがそれぞれ特有な因果的役割をもち、偶発的な事件も役目を演じるような事態を意味する。

  • 逆突出部は、技術を「システム」とみたときに、初めて浮かび上がる概念。
  • ほとんどの初枚や技術的開発は、逆突出部をただそうとする努力から生まれている。少なくとも、1880年~の電灯、電力で生じたずば抜けた発明・開発はそうだった。

☜技術者は、逆突出部を「決定的問題critical problem」として規定する。=これを解くことでシステムの乱れた列が解決される問題。

☜発明の同時発見はなぜ観察されるのか?

発明家らが、決定的問題を解決するための活動を行うべき場所と問題の性格を突き止めて行ったから

  • 決定的問題の解決は、既存のシステムの要素にどうしても調和しなかったために、その発明家は、自分が新しく発明した要素と調和するような他の要素を発明・使用する方へと進む。

 

4-1

  • DCシステムは、送電の費用が高いことを除けば、うまく進化したみごとなシステム。

DCシステムの決定的問題としては、以下のものがあった。

  • 直流発電機の改良:カーボンブラシ、マルティプル・ユニット・システム
  • 白熱電球の負荷
  • エジソンは、「送電コストが高いこと」が逆突出部であることを見抜いていた。特に、配電の半径が1マイル以上になると、コストは青天井になった。
  • ①このことは、1883年に配電コストを下げるために、三線システム」が3人の発明家によって同時発明されたことによって裏付けられる[1]

=一つの逆突出部が、あちこちでほぼ同時に認識されていたことを示す実例である。

  • 配電コストの問題を解決しようとするもう一つの試みは、蓄電池を用いること。

 

  • 三線システム、蓄電池、高電圧直流送電の実験が行われいたことは、低電圧での送電コストが逆突出部として認識されていることを示している。

ゴーラールとギッブスのAC技術へ。

  • 1831年:ファラデーの電磁誘導

1836年:リュームコルフ・コイル

1878年:ヤブロチコフ・キャンドル

:ここまでは、一次線を直列につなぎ、二次線の電圧を一次線よりも高くし、アーク灯に供給するという技術だった。

 

  • ゴーラールとギッブスの技術 (ACシステムの先駆者)

ゴーラールとギッブスの技術:高電圧・交流の長い回路の中に一次線を直列につなぎ、二次電圧を一次電圧よりも低くし、白熱電球(とアーク)に供給し、色々な変圧器からいろいろな大きさの負荷に電気を供給するもの。

☜1882年電灯法の独占禁止条項(18)

:ある特別な型の電球を指定することができない。

→48-91Vの様々な仕様の電球に対応しなければならない。

電力供給者が高電圧を使って消費地点まで送ることを可能にして、そのあと利用者が「生産者から独立して」受け取った電流を好みの目的に利用できるようなシステムが求められた。

  • 変圧器の利用:一次>二次
  • 開いた磁心:クランクを使ってコイルの中へ入れたり出したりできるもの。負荷の変化から生じる小さな変動に対応して、2次線の出力を変化させる手段を提供しようとした。
  • 一次側は直列:一次回路に一定の電流が流れれば、二次線に適切な起電力が生じることを期待した。
  • ③→間違いであることがわかっていた。

∵もしも二次回路の中の負荷が変動したら、残りの電球は前よりも明るくなる。

 

電圧制御が彼らにとってのシステムの逆突出部だった。

  • ゴーラールとギッブスは、エジソンのDCシステムの逆突出部を救おうと意図したわけではない。

あるシステムの中にあった一つの欠点が問題確認によって正されていたところに、新しいシステムの本質的中核となる一つの発明が行われた結果、前者から後者へとゲイなミックな移行が生じた。=システムの戦い

ゴーラールとギッブスは「発展能力のもつ」一つのシステムを発明・開発・実証した。彼らの仕事が刺激となって、次々と改良が生まれて行った。

 

4-3 ガンツ社とアメリカの事例

  • ガンツ社のシステムの要点:閉じた磁心、並列接続の変圧器。

なぜ成功したか?

  • 一つのシステム全体を設計・製造することが習慣になっていた。
  • オーストリア=ハンガリー帝国では、1882年電灯法が適用されなかった
  • 電球の電圧はすでに規格化されつつあり、供給者が決まった電圧で電気を供給できれば、ある特別なメーカーの電球を指定するようになるという事態は起こりそうになくなっていた。

 

  • アメリカでは、スタンリーは新システム(AC)の構築を担った。

ゴーラールとギッブスの装置は、ウェスティングハウスを経て、スタンリーのもとへ。

スタンリー:エール大学を中退し、機械の仕事へ。1884年に自分の研究所からジョージ・ウェスティングハウスへ。電灯プロジェクトの開発責任者になる。

ウェスティングハウスとスタンリーは意見が食い違っていたが、ビルズビーが仲介となってスタンリーは自分の研究所に戻ることになる(二人を空間的に分離させた)。

1886年に交流用変圧器のための中央ステーションをアメリカで初めて構築。

スタンリーのシステム:彼は、ゴーラール、ギッブス、ガンツ社の技術も参照した。その上で彼の独自性は、変圧器の中に生じる逆起電力によって高度な自己制御を有効に達成できることを認識したこと。

  • 必要なアイデアを実験的研究は全てヨーロッパで生まれていたが、そのシステムを取り上げて商業上・実際上の成功に仕上げたのは、アメリカのウェスティングハウス社(スタンリー)だった。

→1890年には同社の中央ステーションは300あり、その総容量は16燭光の電球50万個に達した。

[1] 「決定的問題」が定まることを背景にして「発明の同時発見」が見られるという主張は、技術決定論との関係で極めて重要な点であるように思われる。

通常、発明の同時発見は、技術決定論の重要な含意の一つである技術の自律的進歩を支持する現象であると言われる。同じ時点で複数の似たような発明が生じるということは、技術がある一定の規則や方向にそって進歩(進展)していることを意味しているように思われるからである。では、本書で議論されているようなシステムの「決定的問題」を解く過程で見られる「発明の同時発見」は、技術決定論を支持することになるのだろうか?

その答えは、おそらくNoである。

『電力の歴史』、3章。

第3章 エジソンのシステムが国外へ – 技術移転

 

  • エジソンとその仲間たちは、自分たちの中央ステーション技術をアメリカの他の都市やヨーロッパの都市に分散・移転することに積極的だった。
  • 同システムをロンドンとベルリンに移転するときの歴史は教訓に富んでいる。

技術移転(technology transfer)には異なった様式があり、2つの新しい環境の中でその地域特有の技術がどんな運命を辿ったかを明らかにするから。

 

3-1 イギリスの場合

→企業家たちは、このシステムを製造・販売する独占権を欲しがるように。

→若い技術者、投資家たちがエジソンの仕事に好意的な印象を抱いてパリから各地へと流出したことが、技術移転において重要な効果をもたらした。

  • パリ万博のあと、ドレクセル=モルガン社(投資会社)は、ロンドンの電気博覧会での展示を準備するのを支援した。

エドワード・ジョンソンが責任者に任命。

:工芸協会の主要メンバーにエジソンの展示物を観覧させ、晩餐をとる。

  • 1882年3/15にイングリッシュ・エジソン社が発足。

同社の目的:

  • 電灯・電熱・電力に関するエジソンのイギリス特許権を全て取得する。
  • イングランドで展示されていた電球、発電機、その他のエジソンの設備を買い取る。
  • ホルボーン高架橋57番地(=ロンドンの心臓)にある地所を賃借りすること。
  • 同年、エジソンの発電機2基をホルボーン高架橋に設置した。他の諸要素もニューヨークのものと同じだった。

⇔ホルボーンの場合は長続きしなかった。

なぜロンドンに適応できなかったのかは、技術的な説明以外の説明を要する

 

  • 1882年末までに、電気株への投機はイギリスにおける同年の最大の証券狂態とされる状況になる。

→問題はすぐさま国家レベルに移され、日界と商務省が立法によって全般的な解決を得ようとしていた。

電灯法(Electric Lightning Act of 1882)の制定。

同法のポイント

:(1)21年間に限って、私企業が所有する規制された独占体を規定した(27条)。

(2)保有期間が過ぎて地方当局が買収するときは、中央ステーションシステムの諸要素をバラバラなものとして評価した価値を基礎にしようと考えていた[1](屑鉄 scrap iron 条項)。

(3)独占権の濫用とみなされるものを予防する条項。(Ex 中央ステーションは、いかなる特定の型の電球も指定することができなかった(18条)。)

→イギリスの技術者は、誰一人として経済・技術だけのことを考えて中央ステーションを設計することはできなくなった。

法律だらけの環境の中で設計しなければならなかった

アメリカの条件

  • 1883年にエジソン=スワン社が発足し、1886年にホルボーンのステーションは同社によって廃棄された。
  • 1882年電灯法が中央ステーション産業を麻痺させてしまったので、電気産業のスポークスマンらはこの法律の修正に集中した。

1888年に修正法案が成立:民間会社の保有期間が42年に延長。強制買収条件も、民間企業が有利になるように規定し直された。

  • しかし、エジソンの中央ステーション技術が息を吹き返すことはなかった。最初の電灯法から修正法までの6年間に、新しい技術がイングランドに根付いた。

=セバスチャン・デ・フェランティ (「英国のエジソン」)

  • 一連の立法行動=電力システムの世界の中での自分の地位や未来に満足している保守的な態度を反映していた。

 

3-2 ドイツの場合

  • 1881年のパリ万博に参加していた3人の人物が技術移転において重要な役割を果たした。

;(1)ウェルナー・フォン・ジーメンス

(2)エミール・ラーテナウ

(3)オスカー・フォン・ミラー

       
   
     
 

→2つの中央ステーションの計画:①カフェバウアー周辺、②ベルリン中心部 (≒パールストリート、ホルボーン高架橋)

  • ドイツでは米国と同様、憲法の規定により、地方当局は公営事業の規制について独自性を与えられていなかった。

→ベルリン市議会での支配的な主張=私企業がその新規軸のリスクを負うべきものだというもの。(∵市政府への利益の分配を約定していたから。)

1884年2月:ベルリン市とドイツ・エジソン社は合意。同社はベルリン中心部の区域に市道を配電のために使い、電気を供給する権利を得た。

→同社は続いて1884年5月に事業子会社〔utility〕を設立することに着手。=StEW

  • 米国:90kW発電機×6 発電機1につき蒸気機関1。

ドイツ:41kW×12 発電機2につき蒸気機関2。

→ドイツステーションは大胆な冒険とは言えないものだった。

(また電灯は富裕層向けだった。Ex 劇場、銀行、飲食、商店、ホテルなど)

とはいえ、ドイツ・エジソン社は4万2000個の白熱電球を設置し、どのヨーロッパの他の国よりも大きな業績を上げた。期間を考慮すれば、米国のエジソン会社以上の仕事をしたと言える。

  • 1887年AEGが発足。StEWもBEWに変更。

AEGとBEWが率先して自己独特のスタイルを持った中央ステーション技術を開発していく

  • マルクグラーフ街ステーション:蒸気機関と発電機が(ベルトではなく)直結する仕様に。
  • シュパンダウアー:ジーメンス設計の多極発電機(?)
  • エジソンのスタイルはなぜロンドンで失敗し、ベルリンで成功したのか?

→技術的事情ではなく、経済的事情でもなく、政治的事情である。

:ラーテナウとミラーは、投資銀行や工業上の利害関係社と手を組んで、地方政府を説得して道を開かせることができた。

⇔ロンドンでは、議会による規制が生み出された。

 

 

 

[1] おそらく、システム全体の価値が過小評価されるということだと思われる。

『電力の歴史』、2章。

 

第二章 はりねずみのエンジン – 発明と開発

  • エジソンが発明に尽力していたのが、電灯システム
  • エジソン=発明家-起業家(自分の発明を会社が製造するようになるまで手を休めない人)

エジソンの仕事の仕方(アプローチ)の特徴=システムへの好み

→電灯システムの歴史は、彼のシステム・アプローチ(SA)の本質的な特徴を露に示す。彼は、それが持つ刺激的効果を体験した。

(⇔システムの要素は発明したが、システムを発明しなかった人物がスワン)

  • ①逆突出部:さらに発展する必要がある技術の中の、明白な弱点・弱い要素。

②決定的問題:それが解決されれば逆突出部が正されるような一つ(一組)の問題として規定されたもの。(前者は経済的な性格の問題が多く、後者は技術的なものが多い。)

  • SA=ゲシュタルト・パターンの不完全な部分を目に見える様にすることを容易にする
  • (主に特許の先取権をめぐって)エジソンの役割については様々な論争がある。

⇔SAに注意を向ければ、内実がはっきりしてくる。

問うべき問題は、エジソンは何を発明したかではなく、どのようにして発明を主催したか、とすべきである。

 

  • エジソンは、問題を技術=経済的なものとして規定した。(自分のシステムは、経済面で競争できるものでなければならないことをはっきりと実感していた。)
  • 彼の日々の活動は、どう進んだら良いか正確なところはわからないまま、目標物を探している生物が前進/引き返しを繰り返すようであった。

⇔はっきりしていることは、エジソンが最初から白熱電球だけではなく、配電網のような関連した要素をも発明するつもりだったこと。

 

:並列配電システムと、回路遮断装置を備えたフィラメント電球。

←決定的問題:アーク灯はあまりにも明るすぎて狭い空間の照明には適さないこと。

→明るすぎない白熱フィラメント電球を使うこと。

→温度調整装置と並列回路〔=決定的問題〕セットとなった。

∵直列につないでいたら、どれか一つの調整装置が作動すれば、全ての電球が消えてしまうから。

 

  • 決定的問題:技術=経済システムとしての「配電システム」の費用(コスト)

→高抵抗のフィラメントをいかに製造するか?=決定的問題

エジソンとアプトンは、次のような関係を明らかにしていた。

 [1]

(P=導線での損失エネルギー、I=電流、L=導線の長さ、S=導線の段面積、a=定数)

→ここにおいては、銅の費用が全体の費用方程式の主要な変数であることを認識。

⇔Pを小さくするためにSを大きくすることはできない。

→別の方法としては、Iを小さくすれば良い

→P=IV(ジュールの法則)であるから、電流に反比例して電圧を上げれば、電流の減少を埋め合わせて電球へのエネルギー移転を同じレベルに維持できる。

→V=IR(オームの法則)なので、R(フィラメント抵抗)を大きくすれば、同じ電流に対して電圧を大きくすることができる

→炭素ではなく、高抵抗の白金フィラメントを使う。

 

  • 中央ステーション・システムの建設→EELCが設立(1878年)

→十分な需要が見込めるニューヨークに設立。

1882年10/1には、この地域の1626個の電球に電線が繋がれた。

 

[1]


①、②より、



『電力の歴史』、序章。

T・ヒューズ(市場泰男訳)『電力の歴史』(平凡社、1996年)

 

 

 

 

序章

 

本書の目的

  • 今日の技術的状況は、技術に関わる事柄、科学法則、経済原理、政治権力、社会の関心事などが絡んで複雑な構造になっている。

←科学者・技術者は、システム自体を分析するが、歴史家は、システム同士の複雑な多面的関係と、それらの時間経過による変化を理解する必要がある。

複雑さと変化の研究

  • 本書の目的:1880s-1930sの間に、(ベルリン、シカゴ、ロンドンの)電力システムの配置に起こった変化を説明すること。

→そのためには、技術、科学、政治、経済、組織的諸活動を考慮に入れなければならない。

∵電力システム=文化的人工物(cultural artifacts)

;それを建設した社会がもつ物質的、知的、象徴的資源を具体化したもの。

=社会的変化の原因でもあり、その結果でもあるもの。

※電力システムの歴史記述は、状況の中で作用している外部因子のみならず、技術的システムの内的力学にも注意する必要がある。

→本書は、技術と社会の歴史である。

 

 

   システムとは?

  • システム:互いに関連を持つ部分・要素から構成され、その要素はネットワーク・構造によって結び付けられている。
  • システムの構成要素は、システムの性能を最大限に発揮させ、システムの目標の達成に向けて導いていくために、集中制御されることが多い。

(ex 電力システムであれば、システムの目標=手に入るエネルギー入力を、望みの出力へと変換すること。)

  • システムの限界は、この制御が及ぶ範囲によって確定される。
  • システムの構成要素は互いに関連づけられているので、一つの要素の状態はシステム内の他の要素の状態に影響を及ぼす。=相互関連性がある。
  • ネットワークは、システムに独自の配置をもたらす。(ex 垂直配列/水平配列)
  • 小さいシステムが大きいシステムの制御に従うというヒエラルキー的配置をとることがある。
  • システムの制御には従わないが、システムの影響を及ぼす世界の部分=環境

環境から影響を受けるシステム=open system⇔受けないシステム=closed system

※後者の場合、初期条件と内的なダイナミクスによって最終状態を予測できる。

 

  • 本書の「システム」は、大抵は送電システムをさすが、ときにはルーズに使うこともある。
  • 電力システムは、①電力発生、②変換、③制御、④利用、⑤送電・配線網から成る。
  • 電力システムの研究を企てた理由:

電力システムに限らず、大規模な科学技術の歴史は、システムの歴史として効果的に研究することができるから。

 

 

システムの進化のモデルの5段階と、成長を主宰する人々

 

  • ③システムの成長:逆突出部(reverse salient)と、決定的問題(critical problem)を含む。

逆突出部:ネットワークの全体の成長に歪みを生じさせている、アンバランスな領域。→逆突出部を決定的問題として規定することで、(そのシステムに十分な需要があれば、) システムの成長がもたらされる。

技術者は解決可能な問題を規定する能力を持っており、問題が規定されると彼らの自身は劇的に高まる。

一つの問題を明確に言い表したものは、それの解答をも包含していることが多いから

  • Ex 直流には経済的に送電できないという逆突出部を持っていたが、1880sに技術者はその解決を見つけることはできなかった。結果、新しいシステム(AC)が優勢になっていった。

→〔逆突出部と決定的問題は〕古いシステムをとりまく状況の中で決定的問題を解決できなかったとき、そこから時として新しいシステムが出現することも説明する。

  • ④運動量(momentum):システムの質量、速度、方向。電気事業体(utility)と政治機関との間の緊張と一時的妥協が見られる。また、外的な力(ex : WW1)が大きな運動量を持つシステムの方向を変えることがある。