yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

『電力の歴史』、4章。

第4章 逆突出部と決定的問題

  • 本章では、技術者が「決定的問題」を解くことによって「運動量」を維持しようとした努力に目を向ける。特に、古いシステムの中の大きな問題を解決するのに失敗した結果として、一つの新しいシステムが出現するプロセス(the battle of system)に注目する。
  • 逆突出部(reverse salient):もともとは、「前進しつつある戦線(軍隊の前線)の一部で他の前進の部分とは繋がっているものの、背後に遅れ、うしろへ曲がっている部分を指す言葉。

≠隘路、不均衡

∵逆突出部は、極度に複雑な事態で、個人、集団、物質的な力、歴史的影響などがそれぞれ特有な因果的役割をもち、偶発的な事件も役目を演じるような事態を意味する。

  • 逆突出部は、技術を「システム」とみたときに、初めて浮かび上がる概念。
  • ほとんどの初枚や技術的開発は、逆突出部をただそうとする努力から生まれている。少なくとも、1880年~の電灯、電力で生じたずば抜けた発明・開発はそうだった。

☜技術者は、逆突出部を「決定的問題critical problem」として規定する。=これを解くことでシステムの乱れた列が解決される問題。

☜発明の同時発見はなぜ観察されるのか?

発明家らが、決定的問題を解決するための活動を行うべき場所と問題の性格を突き止めて行ったから

  • 決定的問題の解決は、既存のシステムの要素にどうしても調和しなかったために、その発明家は、自分が新しく発明した要素と調和するような他の要素を発明・使用する方へと進む。

 

4-1

  • DCシステムは、送電の費用が高いことを除けば、うまく進化したみごとなシステム。

DCシステムの決定的問題としては、以下のものがあった。

  • 直流発電機の改良:カーボンブラシ、マルティプル・ユニット・システム
  • 白熱電球の負荷
  • エジソンは、「送電コストが高いこと」が逆突出部であることを見抜いていた。特に、配電の半径が1マイル以上になると、コストは青天井になった。
  • ①このことは、1883年に配電コストを下げるために、三線システム」が3人の発明家によって同時発明されたことによって裏付けられる[1]

=一つの逆突出部が、あちこちでほぼ同時に認識されていたことを示す実例である。

  • 配電コストの問題を解決しようとするもう一つの試みは、蓄電池を用いること。

 

  • 三線システム、蓄電池、高電圧直流送電の実験が行われいたことは、低電圧での送電コストが逆突出部として認識されていることを示している。

ゴーラールとギッブスのAC技術へ。

  • 1831年:ファラデーの電磁誘導

1836年:リュームコルフ・コイル

1878年:ヤブロチコフ・キャンドル

:ここまでは、一次線を直列につなぎ、二次線の電圧を一次線よりも高くし、アーク灯に供給するという技術だった。

 

  • ゴーラールとギッブスの技術 (ACシステムの先駆者)

ゴーラールとギッブスの技術:高電圧・交流の長い回路の中に一次線を直列につなぎ、二次電圧を一次電圧よりも低くし、白熱電球(とアーク)に供給し、色々な変圧器からいろいろな大きさの負荷に電気を供給するもの。

☜1882年電灯法の独占禁止条項(18)

:ある特別な型の電球を指定することができない。

→48-91Vの様々な仕様の電球に対応しなければならない。

電力供給者が高電圧を使って消費地点まで送ることを可能にして、そのあと利用者が「生産者から独立して」受け取った電流を好みの目的に利用できるようなシステムが求められた。

  • 変圧器の利用:一次>二次
  • 開いた磁心:クランクを使ってコイルの中へ入れたり出したりできるもの。負荷の変化から生じる小さな変動に対応して、2次線の出力を変化させる手段を提供しようとした。
  • 一次側は直列:一次回路に一定の電流が流れれば、二次線に適切な起電力が生じることを期待した。
  • ③→間違いであることがわかっていた。

∵もしも二次回路の中の負荷が変動したら、残りの電球は前よりも明るくなる。

 

電圧制御が彼らにとってのシステムの逆突出部だった。

  • ゴーラールとギッブスは、エジソンのDCシステムの逆突出部を救おうと意図したわけではない。

あるシステムの中にあった一つの欠点が問題確認によって正されていたところに、新しいシステムの本質的中核となる一つの発明が行われた結果、前者から後者へとゲイなミックな移行が生じた。=システムの戦い

ゴーラールとギッブスは「発展能力のもつ」一つのシステムを発明・開発・実証した。彼らの仕事が刺激となって、次々と改良が生まれて行った。

 

4-3 ガンツ社とアメリカの事例

  • ガンツ社のシステムの要点:閉じた磁心、並列接続の変圧器。

なぜ成功したか?

  • 一つのシステム全体を設計・製造することが習慣になっていた。
  • オーストリア=ハンガリー帝国では、1882年電灯法が適用されなかった
  • 電球の電圧はすでに規格化されつつあり、供給者が決まった電圧で電気を供給できれば、ある特別なメーカーの電球を指定するようになるという事態は起こりそうになくなっていた。

 

  • アメリカでは、スタンリーは新システム(AC)の構築を担った。

ゴーラールとギッブスの装置は、ウェスティングハウスを経て、スタンリーのもとへ。

スタンリー:エール大学を中退し、機械の仕事へ。1884年に自分の研究所からジョージ・ウェスティングハウスへ。電灯プロジェクトの開発責任者になる。

ウェスティングハウスとスタンリーは意見が食い違っていたが、ビルズビーが仲介となってスタンリーは自分の研究所に戻ることになる(二人を空間的に分離させた)。

1886年に交流用変圧器のための中央ステーションをアメリカで初めて構築。

スタンリーのシステム:彼は、ゴーラール、ギッブス、ガンツ社の技術も参照した。その上で彼の独自性は、変圧器の中に生じる逆起電力によって高度な自己制御を有効に達成できることを認識したこと。

  • 必要なアイデアを実験的研究は全てヨーロッパで生まれていたが、そのシステムを取り上げて商業上・実際上の成功に仕上げたのは、アメリカのウェスティングハウス社(スタンリー)だった。

→1890年には同社の中央ステーションは300あり、その総容量は16燭光の電球50万個に達した。

[1] 「決定的問題」が定まることを背景にして「発明の同時発見」が見られるという主張は、技術決定論との関係で極めて重要な点であるように思われる。

通常、発明の同時発見は、技術決定論の重要な含意の一つである技術の自律的進歩を支持する現象であると言われる。同じ時点で複数の似たような発明が生じるということは、技術がある一定の規則や方向にそって進歩(進展)していることを意味しているように思われるからである。では、本書で議論されているようなシステムの「決定的問題」を解く過程で見られる「発明の同時発見」は、技術決定論を支持することになるのだろうか?

その答えは、おそらくNoである。