yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

畑野、2005年、むすび。

 

むすび

 

  • 英米/日の比較〕
  • 1930s前半の海軍の反ワシントン体制の志向と産業力強化・大学との関係の緊密化=総動員体制構築の端緒。

太平洋戦争において軍産学複合体の膨張が極限に達した

  • 工業・研究動員に際して重要な役割を担ったのは、平賀をはじめとする海軍造船官。⇔陸軍・革新官僚

→軍産学複合体を基盤とした日本海軍の政治的行動が、産業・研究動員体制の確立を促進することで、戦時体制の極限化をもたらした。

⇔海軍の権限維持の固執によって、国内の一元的な戦時動員体制の実現は一貫して不可能となった。

  • 英米:一元的な戦時体制の構築

☜海軍の政治的発言力の強化、政治介入を伴うものではなかった。

文民政治家が終始、戦時体制運営の主導権を保持していた。

Cf: OSRDも、軍の意向が容易に貫徹されることがないように、大統領に直属する形をとっていた。

英米においても軍産複合体の端緒は、戦前からすでに存在していたが、両者の結合によって生じる不正利益の発生などに対しては、戦時中も制約が課されていた。(ex ; 艦艇、航空機、造船、軍需関連工業が獲得する利潤を調査・制限する仕組み≒ヴィンソン・トラメル法、トルーマン委員会)

=WW2の英米においては、国内に存在した軍産学複合体に対する外部からの統制によって、シビリアン・コントロールが効いていた。

  • 軍が軍産学複合体を基盤として政治的な影響力を強める可能性が存在するような場合にあっては、軍の産業界・大学への接近に対する制限・監視の制度を確立することが不可欠。研究者や技術者による軍民複合体の形成や発達への警戒が重要。

 

  • 戦後との連続性〕
  • 戦後日本の造船・海軍政策は、艦政本部の造船官が主体となって船型を定め、産業設備営団の融資によって船舶を計画的に量産するという戦時中の形態が、政策主体を海軍から運輸省へ変化する形でそのまま維持された。(制度的な連続性)
  • 加えて、軍民の技術者たちも、戦後の計画造船を出発点とする政策の展開を技術面から支え、日本の戦後における造船業の復興・飛躍的成長を可能たらしめた。(人的な連続性)
  • 海軍が実施した産業政策の目的=全ての軍需関連工業(重化学工業)の発達は、軍産学複合体の中核としての海軍が消滅した戦後において実現した。

 

議論:

・日/英米での軍産学複合体の違いについての議論が含まれていた。簡単に言えば、戦前日本の軍産学複合体は、海軍の政治的影響力の膨張に歯止めをかける文民統制が効いていない点に特徴がある。そのために、海軍の軍産学複合体は、戦時中に極限に達し、結果としてその権限維持への固執は他のセクターとの権限争いを招き、一元的な統制システムを構築できなかったという議論である。

                                                

   
   

 

・戦前日本の軍産学複合体と、戦後米国のそれは、ともに軍(・産)の政治力の肥大化・暴走を伴う点で共通しており、その意味では、もし「軍産学複合体」が日本にもあったという著者の主張には概ね首肯できる点もある。

・しかし、著者が「むすび」で警告していることは、文民統制が機能しなかった海軍の軍産学複合体は結果的にセクショナリズムを招き、一元的な統制システムが構築できなかった点にあるのだとすれば、逆に一元的な動員システムを構築できた米・英は日本に比べて「良かった」、ということになるのだろうか?

・そもそも、軍産学複合体がまずいのは、国家全体の政治を圧迫するような「一元的な」権力を持つまでに肥大化するというところにあるのではないのか? (軍が入っていなければ良いよいということになるのか。)