yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

小野塚、2003年

 

 

知二「序章 武器移転の経済史」(名倉文二他『日英兵器産業とジーメンス事件』(日本経済評論社、2003年)

 

  1. 本書の主題

本書の主題:英国・日本の兵器産業と日本海軍との関係を、経済史・経営史の視点から考える。

 

  1. 日陰の軍事と兵器
  • 兵器の生産・取引や武器移転に関する歴史研究を制約してきた原因:
  • 史料の制約;軍資料は機密扱い。産業には守秘義務。敗戦時に大量に破棄。
  • 認識や関心の制約:現在の日本で軍事・兵器を強い関心を持って調べているのは、一部の軍事関係者か軍事愛好家〔ミリオタ〕に限られているといっても大過ない。軍事や兵器をそれ自体の特殊に閉じた世界のものごとと感じ、見ぬふりをする認識のあり方がある。

 

  1. 流布してきた二つの議論
  • 上記の要因もあって、以下の二つの問題が十分に検討されないままになっている。

(1)「死の商人論」:兵器生産・取引に関わる企業は、国家間の対立を無理に煽り、戦争の脅威を捏造してまで軍拡を導き、兵器を売り込もうとする。

→こうした「死の商人」の実態は(歴史研究としては)ほとんど明らかにされていない。=兵器製造業の否定的把握。

(2)スピンオフ論:先端技術は軍用から民生用へと波及する。=兵器産業の肯定的把握(=社会的有用性を主張)

→軍用技術がいかに民生用に影響しているかという点[1]が問題であって、この点は十分に検証されていない。

  • 「兵器もの」の書籍には、多くの兵器に関する叙述があるにもかかわらず、これらの言説の当否を検証するのに必要な材料は乏しい。

 

  1. 日英間武器移転と「軍器独立」
  • 武器移転:国際政治学の用語。モノとしての兵器(weapon)だけではなく、武力(arms)や軍備(armament)の移転も含む。ハードのみならず、兵器の運用・修理技能の移転なども含まれる。
  • 武器移転に注目して、日英兵器産業と日本海軍に注目すると、2つの特徴が見える。
  • 武器移転と日本資本主義の確立との関係。

→創設期から、艦艇・兵器を国産化する=軍器独立の努力を重ねており、このプロセスと日本における近代産業(とくに重化学工業)の確立の過程が重なっている。

→「軍事的顛倒性」が生じる。=軍事関連工業が政府との密接な結びつきの下に突出した発展を示し、一般の重工業が遅れて展開するという「顛倒性」がみられた、という議論。このことが日本の資本主義・近代産業の確立を解明する鍵であると考えられた。

  • この軍事的顛倒性は、スピンオフ論の例証となるか??

Ex 艦艇(=最終製品)を設計・製造する能力は早くから英仏の影響下に確立し、機関、装甲板、砲、発射薬(=それを構成する要素)や特殊鋼(それに用いられる素材)、工作機械・工具の製造能力は遅れて進むという特徴が見られる。(顛倒性)

→この過程に、英国企業→日本の兵器産業→民間諸企業へと波及していった技術を見出すことも難しくないように思える。(スピン・オフ)

  • ⇔実際には何がどこまでスピンオフしているのか?

本書では、スピンオフによって、顛倒性が克服された、すなわち一般の重工業が遅れてであれ十分に展開したわけではない、という立場をとる。

Ex 軍用機の例;1930s末までには先進国と同レベルの設計能力を持っていた。しかし、日本だけは液冷直列エンジンの量産に成功せず、単座用無線電話機が満足に使えない、といった特殊な問題を抱えた。

→ 長いクランク軸を製造する鍛造技術の低さや、材料の品質。真空管などの電子部品の品質の悪さ。

→兵器そのものの運用・修理・製造能力の移転には成功したが、それらの裾野にある広範な基礎的・一般的な技術を保証していたわけではなかった。

=やはり軍事的顛倒性が、基礎的・一般的な技術基盤の形成を阻害したといえる[2]

 

  1. イギリス側の要因
  • 英国政府の役割は小さい。送り手の第一のアクターは、民間造船企業・兵器製造会社。

→これらの企業が、イギリスの兵器産業においていかなる一にあり、相互にどのような関係を結んでいたのか。これらの企業にとって、日本向けの供給や投資がいかなる意味を持っていたのかを問うことが必要。

 

  1. ヴィッカーズ・金剛事件

 

[1] わかりやすく言えば、「機会費用」的な問題であると思われる。つまり、軍事研究にリソースがさかれるということは、その分、本来発展すべき民生研究を犠牲にしている可能性があるということ。

[2] この議論は問題があると思われる。著者の議論を整理すると、「軍事関連工業」を航空技術とし、「一般の重工業」をエンジンや通信技術とし、前者の選択的な発展が、後者の発展を阻害した、従って、前者(軍事関連技術)がスピンオフしたことは、後者(基礎的・一般的な技術)の技術を保証したわけではなかった、というものである。

 以上を踏まえた上で、最大の問題は、「軍事関連工業」=航空技術/「一般の重工業」=エンジン・通信技術とする区分が恣意的である点である。通信兵器は、軍事関連工業ではないのだろうか? → むしろ、次のように言い換えた方が適切だと思われる。つまり、技術をproduct、module、parts、materialと階層的に見たときに、productなどの上位の発展を選択的に推進したために、下位の基盤層がおろそかにされたと。だが、そもそも技術の発展は、下位から上位に向かって整然と発展していくものなのだろうか?それが健全な姿と一般的に言えるのだろうか?

 第二の問題は、航空技術と通信技術は技術体系としてはおそらく別であると考えた方が妥当であるという点である。早い話、三菱重工や川西重工と、日本電気や東京電気は、企業主体としても別個であり、技術は独立に閉じており、完全に別のことをやっていたのではないだろうか。なので、仮に航空技術がスピンオフしたところで、他の電気メーカーの技術の全体的な底上げにつながるというシナリオを思い描くことが難しい。

(ただし、大企業と部品メーカーとの間でのネットワークがあり、ある部品メーカーが大企業から発注される「ハブ」的な存在となっており、そこが基盤技術の水準の鍵になっていたということがあれば別であるが。)