yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

下谷、1990。

下谷政弘「1930年代の軍需と重化学工業」(下谷政弘編『戦時経済と日本企業』(昭和堂、1990年)、序章。

 

課題

  • 1930s=準戦時期(~1936)と戦時期(1937~)に分かれる。

1930s前半は、恐慌脱出のための政策と絡み合いつつ、経済統制のための準備が進められた時期でもある。軍需も急増し始めた。

  • 本章の課題:この推移の中で、当時の企業はどのような状況に置かれたのか?

(1)30sの産業構造において、「重化学工業化」と「軍需」増大とはどのように関わり合っていたのか?

(2) 「軍需」の増大に企業側は一体どのように対応したのか、企業はどう変化したのか?

 

  1. 軍需と重化学工業

1-a 軍需品

  • 軍需品:軍部によって需要されるあらゆる兵器、その他の装備品、糧秣。

←近代工業を基盤とする「総力戦」としての内容をもつもの。

明治維新以来の「官営工業を軸に勧められてきた軍需生産能力の育成方針」→WW1の経験を経て、「民間重化学工業の育成の必要性が認識されたことによって軌道修正」され、「潜在的生産能力の育成」が重視されるようになる。

 

  • 軍需工業動員法(1918)から見える軍需品の特徴;

(1)「軍用に供し得へき」もの=平時においては民需品、戦時においては初めて「軍需品」となりうるもの。

(2)必ずしも全てが重化学工業製品ではない。(衣服、糧秣なども含まれる。)

(3)〔軍工廠内ではなく〕民間企業の「動員」(管理・使用・収用)によって行われる。(38年以降は、「軍管理工場」として直接管理されるようになる。)

 

  • エスチョン(くり返し):

(1)こうした軍需品の増大は、産業構造をどう変えていったのか?

=軍需の増大と重化学工業の急成長との関係を問い直す。

(2)企業側はどのような対応を迫られたのか?

1-b 直接軍需と間接軍需

  • 軍需工業を担った私企業として、新興コンツェルンが問題にされることが多い。

⇔逆に新興コンツェルンは、30s前半において「民需」を中心に急成長したとの議論もある。

←「軍需工業」という概念があいまいであるがゆえに、議論の混乱が見られる。

  • 2つの軍需:
    • 直接軍需;軍部に直接納入される製品
    • 間接軍需;製品生産をめぐる私企業間の巡回生産される製品

                                        

 

 

→間接軍需の実態把握は困難であるが、それがゆえに、直接軍需に限定して30sの重化学工業の性格を論じて良いということにはならない。

→間接軍需も視野にいれて、民間企業との具体的関係を見なければならない。

 

1-c 重化学工業

(1)「重化学工業」

  • 37年の前後に、急速に「重化学工業の圧倒的優位の構造」へと逆転する。
  • 重化学工業:金属・機械・化学工業に属する諸事業。資本集約的でもある。
  • ただし、「重化学工業」という言葉が使われるようになるのは、WW2後であって、30sにおいてはその言葉はまだ登場しない。(重工業、化学工業という言い方)
  • 「重化学工業」という言葉の含意:国産化による技術的自立が急がれていた産業

→高品質の高級・特殊な重化学工業製品の国産化が、軍需において最も強く要求され続けてきたことだった。

 

(2) 新興コンツェルンと財閥

  • 新興コンツェルンの事業構造において重化学工業が占める割合は高いが、旧財閥との違いはそこまで自明ではない。

∵新興コンツェルンは、本業を垂直的に補完する子会社を傘下に擁した有機的事業構造であるが、親会社が重化学工業企業であれば子会社もそうならざるを得ず、結果的に重化学工業の比率が高くなることは自明である。

→この対比(=新/旧財閥)は相対化される必要がある。

 

  1. 民間軍需工場と軍管理
  • 軍需工場動員法(1938)に基づく「工場事業管理令」をもって、軍工廠と民間工場との連携が本格的に開始される。

→「管理工場」となったものには、現役の陸海軍人が管理官として駐在する。

 

2-a 軍管理工場

  • 陸軍の場合、1940年7月の「第十次管理」(漸進的に増えるしくみだった)までの時点で、359の民間工場を管理していた。
  • 海軍は41年5月時点までで、309工場を管理工場としており、うち198が陸軍との共同管理工場だった。=約2/3。

 

2-b 利用工場と監督工場

  • 管理工場以外にも、軍部と関係した民間工場が以下の2種存在した[1]
  • 利用工場:軍需品生産を行う民間工場のうち、法律や契約によって拘束を受けない工場。監督官から指導監督を受けることがあり得ても、これにはなんら法的根拠が存在するわけではない。
  • 監督工場:軍部が直接指揮監督の影響力を行使できる。陸軍軍需監督官令が根拠であり、総動員法に基づくものではない。したがって、法律上の根拠はなく、罰則などの規定もない。
  • とはいえ、軍部の関係において、これら3つの間に実質的差異が大きくあったと考えることはできない。(1)と(2)も、「高度国防経済体制」の確立に対して中枢的な地位を占めていた。監督工場の場合であっても、「上からの強制」であることは変わらなかった。
  • 数が増えるにつれて、秘密保護のための措置が取られるようになった。

 

[1] よく軍の「指定工場」という言葉が当時の雑誌などの広告に登場するのを目にするが、これは「利用工場」と同じ、つまり法的な根拠はない関係だったのだろうか?