第4章 戦時体制期の日本における軍産学複合体の活動
- 本章の目的:海軍の政治力が、(1)海運統制への介入、(2)海軍造船官による計画造船の実施、(3)物資動員における海軍の影響力の増大、という3つの段階を経ていくプロセスに注目し、そこにおける軍産学複合体が果たした役割を明らかにすること。
4-1 海軍造船官による計画造船の実施
- 太平洋戦争では、商船建造による南方資源の海上輸送能力の増強が重要課題となった。
- 海運統制国策要綱(1940年)→海軍政治力上昇(≒陸軍の政策関与に対抗しうるパワーの獲得)にとっての好機となる。
→海軍の対応:軍務局と兵備局の設置
→「海務院設立準備委員会」(1941年、2月)
⇔逓信省からの反発
⇔同年8月に、海務院(逓信省の外局)が設立。戦時海運関係施策の計画立案・指導監督を行う組織。=海軍主導による海事行政機構。
- 戦時海運管理要綱(1941年、8月):海運と造船の一元的な国家管理を実施。
→1942年に「戦時海運管理令」、同年に船舶運営会が発足。
こうした民間企業を重視した海運統制に対しては、官僚主導の統制・陸軍の関与を忌避する政治勢力から期待が寄せられた。
- 艦政本部による海上輸送能力増強を目的とする造船計画の実施は、日米開戦の決定(帝国国策遂行要領)と表裏一体:
御前会議における鈴木貞一の説明→海軍主体による造船統制により海上輸送能力を確保すれば戦争遂行が可能であるとの見解。
☜このベースになったのが、艦政本部の造船官による国内造船能力の算定
(=当時の造船能力算定としては唯一のもの。)
(一年目;40万総t、二年目;60万、三年目;80万)
→「連絡会議」でも披露。
- 艦政本部第四部の造船官=計画造船のブレイン。
:平賀のもとで指導を受けた、「大和」型戦艦の計画・建造に携わったもの。
→それまで培ってきた艦艇建造の技術や、民間造船所に対する指導・監督の体制を、そのまま戦時中の計画造船の実施に利用した。(ex 工数統制、材料統制、金物の制式制定、早期艤装法など)
- 計画造船の資金面での措置:産業設備営団(政府出資の特別法人)が利用される。
:太平洋戦争をきっかけいにして、同団体は軍需産業のうち、とくに造船・造機の拡充計画実施の中心的な組織に変化した。
- 海軍による造船発注の一元化:民間造船・海運業にとって歓迎すべきものだった[1]。
∵海軍は船舶の国有化を意図しておらず、海運業者の創意・才腕を発揮させる領域を認め、「イニシアティブを失わない限りにおいて企業を確実に発展させる」方法だった。
⇔陸軍(・革新官僚):統制規則をつくって縛る、会社の人格を認めないやり方
国家社会主義的な運営。
→物資動員計画における海軍の政治力向上と、陸軍の発言力の低下。
- 戦時体制における海軍の政治的影響力の強化は、軍産学複合体の存在によって実現した[2]。
4-2 日本海軍と軍産学複合体の問題性
- ガナルカナル戦敗退→短期決戦の戦略は破綻。
→「五大重点産業」の指定以降、船舶の増産を目的とした動員が実施。
→「戦力増強企業整備要綱」;海軍の政治的影響力の強化のための施策を可能にした。
た。
∵実施主体が産業設備営団とされた。
→陸軍の指導力の低下。
- 「戦時行政職権特例」(1943年):五大重点産業など、軍需物資の生産拡充上、首相は必要に応じて関係大臣に支持を行う事や、各大臣の職権を首相や他官庁に移動させることを可能にする勅令。
☜東條首相は、この勅令の実施は海軍艦政本部による造船業の一元的統制のため、海軍大臣に他省大臣の権限を移管することを主目的とする、と説明される。
=本特例は、海軍による造船関係の施策を主とすることで、その実施の正当性がアピールされ、「戦時行政特例法」も成立した。
=戦時特例は、海軍からすれば自身の執行措置を法的に追認したものにすぎない。
→東條首相はすでに艦政本部の権限で支障なく実施されていた事項を、特例による総理大臣の権限発動によるものとすることで、総動員体制構築における自身の権限強化を図った。
- 海軍は、他の省庁による動員行政の政策の実施に消極的な態度を保持していた。
Ex 1943年軍需省:海軍は兵器工場を自身の管轄下においており、一元的コントロールは完徹されない。
- 軍学:
(1)科学研究の緊急整備方策要綱:各大学に科学研究動員委員会を設置すること
(2)科学技術動員総合方策確立に関する件
- 技研主導による大学研究者の大規模動員。
→伊藤庸二=平賀が技研所長時代に確立した軍学共同研究体制のもとで台頭し、彼の死後もこの体制の維持強化に尽力した人物。
- 特に大阪帝大が、科学動員の要請に最も積極的に反応した集団の一つだった。
:菊池正士。戦時科学報国会。
- 1944年に技研電波研究部が、島田実験所を設置。「熱号研究」
- 「F」号研究。
- 海軍の軍産学複合体の問題:自己拡大・膨張の極限化が、総理大臣の権限強化や陸軍の権限強化という予想外の事態を生んだ。結果として、軍産学複合体の存在と膨張が、一元的な戦時体制の運営を困難にした[3]。
議論
・本章では、海運行政と船舶造船計画に注目しながら、海軍の政治的影響力の向上と、それを可能にした軍産学複合体の存在について議論されている。
・著者によれば、海軍が従来の「軍産学複合体」の形成を通じて築いてきた民間企業の指導・監督スタイルは、陸軍や革新官僚らの統制とは異なっており、民間サイドからの支持を集めていたという。それは海務院の設置や、戦力増強企業整備要綱の実施における海軍ポリティックスの拡大を実現した。だが、皮肉なことに、海軍による海運行政の一元化が、東條首相自身の権限を拡大するための論拠として使われてしまった(つまり、海軍による造船関係の施策の重要性を認め法的に追認すると同時に、それを主目的とする「戦時行政特例法」の公布を通じて、東條(や陸軍)の影響力の拡大を図った)。
・このことは、言い換えれば、海軍の軍産学複合体が結果として戦時行政の一元的運営を困難にしたというわけであり、これが著者の結論である。
・著者が、戦時期という極めて複雑な時代を扱いながら「軍産学複合体」という観点からどのようにストーリーテリングするか、相当悩んだ形跡が見て取れる。要するに本章の議論を一言でまとめれば、軍産学複合体を背景とした海軍政治力の強化に陸軍が便乗してしまい、結果としてセクショナリズムが皮肉な形で展開していった(=軍産学複合体の問題)、というシナリオである。
・だが、評者が思うに、セクショナリズムが横行する状態で、アイゼンアワーやレスリーが意味していたような「軍産学複合体」(=民主主義や学問の正常な機能・発展が歪められるパワーエリート的政治)が存在しうるのかどうか、そもそも疑問である。
・つまり、海軍の軍産学複合体は、あくまで陸軍や革新官僚に抵抗する「だけの」、国家全体としては部分的な政治力しか持てなかったのであって、それは、アメリカで発生したmilitary industrial academic complexとは次元が違うものであろう。その点を終章で整理していただけるのかどうか、気になるところである。
[1] この論点は初耳である。海軍の民間企業の指導・統制は、陸軍や革新官僚による国家社会主義的な、ハードで、リジッドな「統制」とは毛色が異なるという指摘であるが、本当なのだろうか?
[2] 海軍と民間企業の良好的関係や、平賀のもとで養成された艦政本部第4部のスタッフらの活躍などを前提にした主張と想像されるが、軍「学」の繋がりは、この主張にどう関係してくるのだろうか?
[3] このストーリーは、かなり無理があるように思われる。