yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

William Tsutsui, Manufacturing Ideology, Introduction

William Tsutsui, Manufacturing Ideology, Princeton University Press, 1998.

 

 

 

Introduction (pp.3-13)

  • 1980s、学者や経営者は、組み立て式大量生産の終わりを告げ始めた。ほぼ半世紀の間にフォードによって始められ、アメリカ経済のエンジンとして絶賛されてきた製造方法は、その効率性の原型とみなされた仕事の標準化、専用の機械、厳格な監督などが、逆に最大の負債であるとみなされるようになった。
  • 伝統的な大量生産の後を継いだのが、日本の産業管理のモデルであった。「柔軟」で「均整の取れた」製造は、日本のアプローチとされる。日本の「ポスト-フォーディズム」システムは、今や国際的な産業製造方法の再構築するための、最適なプロトタイプとして広く賞賛されるようになった。
  • 一方、日本の方法は、フォーディズムのダイナミズムと表面的に異なっているだけであると見なす者もいて、米国から日本へ移植された工場の研究者は、伝統的なフォーディズムよりもさらに抑圧的・厳格な体制を発見した。彼らにとって日本のモデルは、進歩・再生のビジョンではなく、古典的な組み立てラインの再定式化(reformulation)にすぎない。
  • ←日本のモデルの異質性/馴染み深さ。

日本のアプローチは、西洋の大量生産からの完全な離陸(=近代的な工場労働の根本的再解釈)なのか?あるいは、時代遅れのフォーディズムの進化にすぎないのか?

日本のパラダイムは、他方でフォーディズムを再構築したものにすぎないとの批判がある中、どのようにして管理の簡素化と責任ある技術開発の道筋となったのか?

→こうした矛盾した解釈(:西洋の大量生産からの完全な離陸/伝統的なフォーディズムをさらに抑圧的に進化させた再定式化バージョン)は、いかにして調和させることができるか?

またどちらにも共通する見解=国際競争における目覚ましい勝利については、どう評価すれば良いだろう?(それは、単に自動車産業の優位ということに回収されるのだろうか?)

  • これまでの日本の管理システムを説明する試みは、不完全な答えにとどまっている。

:①文化的な例外主義(cultural exceptionalism);日本の管理習慣は米国のそれと著しく異なっている。

⇔日本の方法の際立った特徴を社会組織の独特の遺産に帰するこの見方は、それ自体が限定的なフレームであることを何度も証明してきた。

②近年支配的な見解;文化主義を否定し、日本のシステムをかつてアメリカで崇拝され現在忘れられている管理技術を巧妙に模倣することに長けていたとする見方。

⇔日本を模倣者とするこの意見も、説得力のない文化主義のドグマやステレオタイプに行き着く。

  • 文化的例外主義にせよ、日本=模倣者とする見解にせよ、彼らに共通しているのは、歴史的な視点から日本の実践を説明することに失敗していること。彼らの見解を歴史的に検証しようとする者はほとんどいなかった。

近年労働史・産業史で歴史に関する英語文献が出てきており貴重な洞察を与えてくれるが、日本の管理パラダイムの発展については、断片的か、脱線的にしか扱われていない。さらに、労働組合、官僚、著名な「産業のリーダー」に焦点を当てることで、管理方法の実施に最も関与していた経営者(maneger)によって果たされた役割は軽視された。他方、企業と環境との二分法を維持する(≒その間に人工的なバリアを設ける)経営史では、逆に産業構造が持つ文化的・思想的な意味を見落とす傾向がある。

  • そこで、日本的経営方法の進化(歴史)についての物語を紡ぎ出すことで、日本の経営に関する現在支配的な分断された見解(伝統的/近代的、土着的/輸入的、自由/抑圧、ポストフォーディズム/超フォーディズム)=誤った情報に基づく非生産的な議論から救済することができる。

=本書は、日本的経営を歴史的複雑性の下で説明し、外国からの輸入から国内での調整の100年間のダイナミックな産物として捉えることで、日本的モデルとルーツについての理解に、一貫性のある見解を示すことをめざす。

  • 本書では、アメリカの経営思想の受容と適応を、それを通じて日本経営のパラダイムの発展を精査する「プリズム」として捉える。そして、アメリカ経営思想における最も影響力のあるモデルは、テイラー主義である。それは、フォーディズムの基盤にもなっており、国際的拡散において重要だったのである。
  • テイラー主義:熟練工の「経験則」、アメリカ工場管理の「恣意性、貪欲さ」といった慣習に基づく非体系的方法を否定し、専門的な経営エリートによる製造プロセスの科学的分析を支持するもの。作業手順を分解し、標準化し、労働者に割り当てる作業を単純化することで、効率を最大化することを目指す。その鍵は、「計画(管理)」と「実行(労働)」とを分離し、職場の権限を管理集団に任せること。

→科学の産業経営への「非政治的な」運用によって、雇用者と経営者がともにおおきな利益を得ることができるとされ、工場管理の方法を超えて、一連の価値観やイデオロギーさえも包含することになる。

 

  • 先行研究では、科学的管理法の欧米での受容に比べて、日本における需要は軽視されてきた。そして日本での受容を論じる際には、そのプロセスを「奇妙」で、「歪曲され」、「消化不良」に終わったとするものが多く、土着の伝統がテイーラー主義の受容を阻害したとするものが多い。
  • 近年では、日本におけるテイラー主義の影響を再評価する文献も出始めているが、未だ包括的な研究はなされていない。かつ、日本独特の適応とする傾向は強い。

⇔欧州でのテイラー主義の反応も実質的には同じだったという点を見逃している。

修正主義者の中には、テイラー主義を戦前のある瞬間に凍結したものとして捉える見方もある。

  • それに対して本研究では、日本の管理の実践の発展において、アメリカのモデルが果たした役割は限定的であったとする見方(あるいは強力であったとする見方)に修正を迫る。

:1911年のテイラー主義の導入、1920sの効率化運動、30sの産業合理化、WW2の動員、戦後の生産性向上、そして日本の奇跡に至るまで、科学的管理法は、日本の産業における論理的・自然なモデルとして徐々に受容されていったことを描く。さらに、テイラー主義は、管理のイデオロギーを形成し、経済政策、社会問題をめぐる議論までをも構造化していったことも論じる。

  • 科学的管理は、米国から伝播される際には、否定されることも歪曲されることもなかったという点は重要である。ただ同時に、日本は米国の科学的管理法を無心に繰り返したわけでもない。つまり、それは20C日本の経済的・社会的・技術的背景の中で、微妙に形を変えていったのである。=テイラー主義の要請と一致しつつも、独自の発展の軌跡を辿っていく。
  • 本書では、テイラー主義からの派生/逸脱の両面を認識することで、ポストなのかウルトラなのか、といった現代の行き詰まった議論を乗り越えようとしている。この研究が示すのは、日本の経営パラダイムは、古典的な大量生産からの進化であり、かつ、アメリカの正統からの脱却でもあるということである。
  • ところで、テイラー主義の影響力は、テイラー主義の言葉の定義次第で変わる。最も狭義のテイラー主義=「計画と実行の分離」を意味し、広義=近代のほとんどすべての属性をテイラーの著作に見出すことができるというスペクトルを形成している。

⇔本研究では、何がテイラー主義なのか、という分類法をあらかじめ設けることはしない。むしろ、日本におけるテイラー主義の支持者、実践者、批評家といった歴史主体が何をテイラー主義と見做してきたのかを重視する。

  • 加えて、本研究では、従来のように、実業家や知名度の高い経済連合会など、一般的に重視されてきたグループに焦点を当てるのではなく、技術者、工場長、コンサル、経営専門家、学者など、テイラー主義が最も身近で関連性の高い人々に眼を向ける。
  • さらに、テイラー主義がどのように「利用」されたのかよりも、それがどう「販売」されたのか=企業エリート、労働者、一般市民にどのように広報され、パッケージングされていたのかといった側面に注目する。

 

 

 

議論:

・全体の方向性としては、日本においても科学的管理法は真面目に受け止められており、日本の文化的な土着性によってその受容が遅れたり、軽視されたり、歪んだりしたという先行研究の見解に意義を唱えようとしているものと思われる。

 

・より抽象的なレベルでいうと、歴史研究の意義や歴史家の存在意義を考えさせられる重要な章でもある。著者曰く、現代では(1998年時点では)、日本的経営がポスト-フォーディズムなのか、ウルトラ-フォーディズムなのか、日本の文化的特殊性が重要なのか、あるいは日本は米国の模倣者にすぎないのかといった点で、意見が別れている。しかし、両者はいずれも歴史を見ていない。歴史を見ることで、現代言われている「日本的経営」がいかに静止画的な、pictureにすぎないことがわかる。100年の時間軸の中で変容するダイナミックな動画movieとして日本的経営を見ることで、より対象を深く理解できるばかりではなく、現代の論争がいかに非生産的であるかもわかる、というわけである。これは一種のレトリックにすぎないとしても、歴史研究が「役立つ」ことの一つの説明となりうるだろう。