yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

奈倉、2005年

奈良文二「日本製鋼所と「軍器独立」-呉海軍工廠との関係を中心に」(『日英兵器産業史』(日本経済評論社、2005年)、第4章。

 

  1. はじめに
  • 1912年、東京朝日新聞は、三大製鉄鋼所として、八幡製鉄所、呉海軍工廠と並んで「日本製鋼所」を挙げていた。
  • 日本製鋼所:日米の合弁会社(民間)であると同時に、実質的には海軍が全面的にバックアップして設立にこぎつけ、その後も海軍の需要に応えるのみならず、さまざまな面での海軍の関与が見られる。
  • 本章の目的:日本製鋼所の設営・発展プロセスの特徴について、「軍器独立」の視点から海軍(特に呉工廠)との関係を考慮しつつ再検討することで、「海軍兵器工場」としての性格の把握を試みること。

 

  • 軍器独立:元々は当時の海軍関係者などの表現。兵器国産化と同義で使われる場合が多いが、その内容は兵器自体のみならず、関係諸資材(軍器素材)の国産化、関連基盤整備なども含む。技術移転の完了(技術的独立)だけでなく、資本的関与・支配からの独立(資本的独立)も含んでいる。

→本書では、軍器独立を、兵器および関連分野の「技術的独立」および「資本的独立」を意味するものとして使う。

 

 

  1. 日本製鋼所設立と海軍の意図
  • 北炭専務の井上角五郎が北海道の砂鉄を使用する製鉄業進出を計画したことが、日本製鋼所の起源。

→その設立過程において山内海軍中将の勧奨によって、外国人(E・L・ボイル=アームストロング社東京駐在員)を招聘しつつ、同社およびヴィッカース社の日本製鋼所への設立参画が決定し、大砲とその原料鋼材製造計画へとシフトしていく。

  • 海軍側の意図:日露戦争時点では、主力艦は全て外国製(ほとんどは英国製)であり、日露戦争中から主力艦の国産化=内地建造方針を推進する。

→主力艦クラスの5隻(筑波、生駒、鞍馬、薩摩、安芸)を同時に建造し始める。

  • とりわけ、呉海軍工廠の急速な拡充が注目される。

:中でも造兵部門の躍進が目覚ましい。装甲板、砲熕(ほうこう。=大砲)、原料鋼材の生産体制を確立。(筑波建造が「軍器独立」上、画期的であると言われる)

⇔それでも、大砲の生産の立ち遅れ(前「ド」級クラスにとどめる)が、主力艦国産化のネックとなっていた。

呉工廠を中心に拡張を行いつつ、不足する大砲製造分野の拡充を日本製鋼所に期待した

  • 海軍側の日本製鋼所設立に関する資料を見ると、そうした呉海軍工廠との分業関係が明記されていることがわかる。

:呉工廠の能力が不足すると見込まれる艦載砲とその他艦艇諸材料の供給を新会社の重点に設定している。

=呉工廠の補完計画。(≠井上の事業計画)

 

  1. 創業期日本製鋼所と呉海軍工廠­-とくに幹部および技術者人脈
  • 呉工廠による幹部・技術者が新会社へ派遣されている。

:最高幹部は山内。その他、海軍在籍のまま嘱託として同社へ派遣された人員が16名ほど。

さらに、本社工場の課長職の大部分と東京出張所も、呉工廠出身者で占められている。

=呉工廠などの海軍出身者による技術支援・経営関与が相当強く見られ、「あたかも海軍工廠の一支廠のごと」き状況だった。

  • 海軍は早くから日本製鋼所に常駐の監督官を派遣して、注文品の製造指導・検査・連絡を行っていた。民間企業への海軍監督官の常駐派遣は、日本製鋼所が最初であると言われる。

 

  1. 生産高動向と十四インチ砲受注・製造
  • 生産高を見ると、確かに呉工廠での溶鋼は装甲板に振り向け、日本製鋼所の場合は砲身材料に振り向ける傾向が見てとれ、同社の設立目的に合致していたことがわかる。
  • 同時に、このとき12インチ砲(30cm砲)から14インチ(36cm砲)への転換期に当たっていた。

日本製鋼所による14インチ砲製造体制の進展に伴い、同兵器の受注・製造が増加していく。=87門中、呉は25門、日本製鋼所は47門。

  • ただし、形式的には、ヴィッカーズ代理店=日本製鋼所との(艦政本部の直接)契約という形。
  • 14インチ砲製造においては、イギリス側の出資社からの技術供与を多く受けている。Ex 技術者が26人派遣。

 

  1. むすびにかえて­-原料銑鉄確保と輸西製鉄所合併のジレンマ

:WW1の「鉄飢饉」の経験から原料自給の必要性を痛感して合併したという通説は正しくない。=「銑鋼一貫経営目的」説

  • 軍用の鋼材としては、燐・硫黄分が極度に低い「低燐銑鉄」の確保が必要。しかし日本製鋼所創業時点では国内で確保することが難しく、輸入(イギリス、スウェーデン)銑鉄がメインだった。

⇔WW1によって輸入困難となり、緊急対策が講じられる。

輪西製鉄所(日本製鋼所に隣接している)が製造した銑鉄を使用することが試みられる。

日本製鋼所では、内地産の鉄を用いて砲身用高級鋼原料に代用する研究を始め、独自の技術である「銑鉄脱燐法」の開発に成功する。=VAT銑と呼ばれる。

  • ここで重要な点は、WW1後に輪西銑を日本製鋼所室蘭工場において使用することには合理性がなかったこと。

:品質的に優れていない。価格的にもスウェーデン産より高価。

輪西銑の使用を余儀なくされたことは、結果的に室蘭工場の製品品質の低下をもたらしていた。

→「銑鋼一貫経営目的」説では、この技術上の不利益を説明できない[1](技術的独立の問題)。

  • さらに、輪西との合併は、三井財閥による日本製鋼所の支配権の確立にあったとすれば、「資本的独立」の点でも、海軍の目的に十分合致したものとはいえない。

 

[1] どうだろうか?確かに品質も価格も輸入品に劣るとしても、いざとなれば国内で製造できるということこそが「軍器独立」の上で最も重要なことであって、それに比べれば「技術的に劣る点が残る」ということ自体にはさほど問題がないという考えもできるのではないか?