Meritt Roe Smith, “Technological Determinism in American Culture”, Meritt Roe Smith and Leo Marx ed., Does Technology Drive History? (MIT Press, 1994), Chapter 1
- 技術決定論=技術の変化は、その他のあらゆる要素以上に社会やそのプロセスに大きな影響を行使するという考え。
2つのバージョン:
- 軟らかい技術決定論(soft view):技術の変化が社会の変化を駆動するが、同時に社会の圧力にも反応する。
- 硬い技術決定論(hard view):技術発展を自律的なものと捉え、社会の制約から完全に独立しているとする。
- 技術決定論は、18Cの啓蒙主義の時代の主導者によって表現された、解放する力(liberating forth)としての技術の信仰に遡ることができる。
←科学と技術を社会変化の強力なエージェントとみなす。決定論的な思考は、歴史の力としての行為者性(agency)を技術に与え始めたときに始まる。決定論的思考は、18Cの前進というアイデアにおいて広く受容された。
- 技術決定論は当初欧州で始まったが、その後はアメリカにおいてさらに肥沃な土壌を見出した。∵アメリカは前進というアイデアに取り憑かれていた。
- 人間のモラルと物質的改善の熱心な支持者であったフランクリンとジェファソーンは、
その時代の新しい機械技術を、高潔で豊かな連邦社会(republican society)を達成する手段とみた。彼らにとって、前進とは、人間性の向上(知的、道徳的、精神的向上)と物質的な反映のための科学・技術の追求に他ならなかった。=改善なしに繁栄はありえず、両者のバランスを維持ことが必要。
ジェファソーン:大規模製造へ疑念。←社会の自由や得の脆さや、連邦が簡単に崩壊しうるという懸念を反映している。
フランクリン:彼の発明についての特許を拒否。
∵彼は自身の発明は私的な富の源泉ではなく、社会の全ての構成員にとっての利益であると考えていた。
- ⇄より技術官僚的なビジョンも出始めていた。
Ex ハミルトン(Alexander Hamilton), コックス(Tench Coxe):当時の機械技術に行為者性と価値を与え、社会における独立した力をそれらに投影し始めた。
コックス:アメリカの政治の独立は、経済の独立を確立することに依存している。そして政治問題の第一の解決策として、機械に基づいた製造の必要性を強調した。
- ジェファソーン:個々人の市民の精神的な必要性という関心から技術発展を強調。
⇄コックス:人間性の向上から、より(非人間的な)社会的な目的、特に法律や政治経済の秩序の確立へと力点をシフトさせた。=テクノクラティックな見解
←最初から、技術決定論は、政治的な秩序の模索と相性が良かった。
- 19C初頭には、鉄道、蒸気船、電信などの発展を経験し、コックスの技術官僚的な見解はだんだん支配的になっていった。=技術革新が進歩をもたらすということが証明され始めた。
- 18C末において滴りとして始まった技術への熱狂は、南北戦争を経て小川(rivulet)となり、そのあとも流れ続けた。1860s-1900sにかけて、多くの本や記事がアメリカの新技術を称賛した。根本的な意味で技術的な発展が人間の出来事の方向を決定するという信念は、世紀末までにはドグマとなった。
ボイド(James Boyd):19Cは他の先行するどの時代に比べても最も崇高である。
ボイドの見解は、現在(20C末)の読者にとっては過剰に見えるかもしれないが、それは新技術を力の手段として、人間の前進の熱狂的なシンボルとして捉える書き手の傾向を象徴している。= technological sublime (技術的荘厳)
- Currier and Ives (版画会社):機械の力、優美さ、美しさ、進歩的な性格を示唆する。
- John Gastの絵画:東から西へ (右手に公立学校教科書=教育の象徴と左手に電信線)
- Joshula Taylor の絵画:政治的・芸術的なシンボルが、技術的なそれによって支配されている程度に驚かされる。←芸術家の目にとって、技術はアメリカ文化の中に支配的な位置を占めているように思われた。
- 20C初頭において、芸術家や著述家は、社会の原動力としての機械を称賛し続け、技術官僚的な思考は、成長中であった職業的な広告の分野で大きな勢いを得た。
→広告会社は産業技術についての考え方を促進する。=技術が社会を形成するという考え方。心理学に基づいた広告は、印刷物やラジオ、テレビによって拡散され、そうした技術官僚的調子(pitch)は、大衆文化の中に深く埋め込まれた技術決定論を形成し続けた。
- 広告の目的=欲望、需要を刺激する。→効率性、優美さ、自由、近代性、愛国性、地位、若さなどといった感情を訴える。
→新技術製品は時間を節約するだけではなく、使用者をより健康的で「幸福に」するものだと訴えられる。=技術とは今や人間の幸福(well-being)の原因となった。
- その最も顕著な例は自動車の広告:近代的である=美しくエレガントで地位があり賢い。技術の前進によって、操作の容易さが実現する。
- 1900s以降、広告会社は、最新技術は個人の利益だけではなく、社会的前進をももたらすということを公に売り出す。
→WW2末:戦争の試練
- 戦後:科学・技術は日々の問題の万能薬となっただけではなく、アメリカ的生活の核となる価値になった。
- 技術決定論や、技術官僚的な前進というアイデアはアメリカやその他の産業社会で広く浸透したが、それでも批判に遭遇した。
- 批判者らは、機械的・合理的な生産への向こう見ずな急変の中で、アメリカは物質的な力のために倫理的な前進を犠牲にしていることを懸念した。=ジェファーソンの懸念を放棄しているのではないかと批判。
→アメリカは、その革命的な連邦的な精神的拠り所(republican mooring)から、もっと世俗的で物質的な信念の枠組みに流れ出てしまっているのではないか。
Ex ラルフ・エマーソン(Ralph Emerson):「人間は道具のための道具になっている」
アダムス (Henry Adams):1900年のパリ万博で発電機による見えない力を目撃。クリスティアリティから科学と有用性へ。→産業化によって失ったものについて述べている。彼らが生み出したエンジンは、彼の統制力を超えるだろう。
→1900年までにこれらが現実化する。
- 19Cにおける高度に個人的、倫理的、ノスタルジックな批判と比べて、20Cの著述家は技術官僚的な見解について、より私心のない、没人的な(しかしコミットしないわけではない)批判をしていたように思われる。
←彼らにとって信仰・伝統の問題や政治・権力の問題ほど重要ではなかった。
- マンフォード(Lewis Mumford):『技術と文明』(1934年)
:技術的前進が社会・精神の前進に与える脅威についても懸念している。
→末尾では、20Cの新しい科学に基づいた技術は、「有機的機械」の出現を通じて、機械と人間精神との間の差異を調和させることを切望している。
Art and Technics
- エリュール (Jacques Ellul)『技術社会』(1954年)
:技術(Technique)は、人間がその中に存在することを要求する環境になる。技術は、人工的で、自律的で、自己決定的で、全ての人間の介入から独立している。
技術(Technique):機械以上の意味。組織的な方法、経営的実践、機械主義に固有の思考のモードや様式までも含んだ概念。技術(Technique)は、手段の組み合わせではない。
→病気の診断を説明しているが、その解決策はわからず、目を覚まさせることしかできない。
→個人が技術的な対象から自由になることができなければ、技術(Technique)の一般的な問題に対応することはできないだろう。=悲観的
- ウィナー (Langdon Winner):『自律的技術』(1977年)
:自律的技術=人間の指示から独立して、幾分技術が制御から抜け出し、それ自身の方向性に従っていくという考え。
エリュール:技術を道理的で、包括的な制御力を持つものとして捉える。
⇄ウィナー:技術をより不安定で変化し易いものとして捉える。
「私たちは、技術を使うのではなく、技術を生かす。」人々は、技術的なもの全てに受動的に反応するようになる。技術はそれ自体政治的な現象であり、潜在的に政治的制約に従っている。
→『鯨と原子炉』(1986年):技術システムは、価値中立ではない。それらは誰かの利益を支持することを避けられない。そして、社会は、新技術を導入する前にそれがもたらすであろう含意を理解すべきである。
エリュール:エリート主義の定式化→ウィナー:民主的な政治哲学(新しい技術を計画・補完する)
→マンフォードの、権威主義的技術を民主的な技術に置き換えるという要求を、さらに拡張・深化させたもの。
⇄マンフォードと違って、政治的なプロセスにおいて(沈黙の行動や、象徴的な振る舞いではなく、)アクティビストの介入を支持した。
←彼の議論は抽象的であったが、行動のためのプログラムを組織するのに役立った。
- 三人の著作には、皮肉なねじれがある。
:技術システムの浸透している力と、それらが人間と自然に押し付けている深刻な脅威を堂々と主張しながら、現代の技術に(その最も熱狂的な支持者が主張することさえもしばしば超えて)ある程度の行為者性と影響力を与えてきた。
→彼らが技術を社会的・文化的変化の最前線位置付けている程度において、彼らもまた技術決定論者であった。
⇄エリュールはより決定論的であり、マンフォードとウィーンはより「選択」を強調している点で違いはある。後者の「技術変化の文脈的状況」は、現在の技術史家の間での支配的なパラダイムにとても近い。
→ただし3人は、技術変化=進歩と見えているわけではない。
議論
・アメリカにおいて「技術決定論」というアイデア(=社会変化の最も重要な説明項は技術であるという考え)がどのように展開していったのかをコンパクトかつ明快に紹介している論文。
・芸術作品(絵画や版画)にも様々な技術が描かれる事例を具体的に紹介し、芸術家でさえもアメリカ社会を覆っていた「技術」に反応していた様子が説明されている箇所はとても印象的である。
・本稿で最も重要な指摘は、当時の技術と人間の関係に疑問を呈していたマンフォード、エリュール、ウィナーでさえも、(技術変化=進歩とはみなしていないものの、)以前として社会や文化の変化の最重要説明項として「技術」を想定しているという意味で、技術決定論であったという点にあるだろう。
・技術決定論から完全に脱却する方法はあるのだろうか。技術決定論という発想は、そもそも間違っているのだろうか。一面の真理を表していると言うこともできるのだろうか。
・技術決定論は、ミクロなレベルでは成り立たないかもしれないが、マクロなレベルではある程度の妥当性を持つということは考えられないだろうか。
・戦前の日本においては、技術決定論的発想は、どれほど幅をきかせていたのだろうか。商工省の技術官僚あたりだろうか? また、戦前に日本において、マンフォードらに相当する思想家は誰になるのだろうか。唯物論研究会のメンバーたちだろうか。