yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

Schivelbusch, 1977

W・シヴェルブシュ (加藤二郎訳)『鉄道旅行の歴史 – 19世紀における空間と時間の工業化』(法政大学出版局、1982年)、第三章 鉄道の空間と鉄道の時間 (49-60頁)。

 

本書は、Schivelbusch, Geschichte Der Eisenbahnreise (1977)の全訳、つまり、ドイツ語原書からの邦訳である。

  • 19C初頭において鉄道の働きを言い表す共通表現=「時間と空間の抹殺

イギリスの初期の鉄道の平均速度は20-30マイル(32-48km/h)=従来の郵便馬車の速度の約3倍。

→時間の短縮=空間の収縮 (街道は時間的に1/3に短縮される。)

→英国全土に鉄道網が敷かれると、住民は2/3の時間だけ首都に住む場所を近づける。すべてのものが同じ程度に国の中心に近づく。こうして距離を縮めていけば、国土の全部が唯一の首都の大きさに収縮する。

⇄鉄道の速度による空間の変化は、空間収縮だけではなく、空間拡大ももたらしている。

:国の首都への収縮=首都の拡大。首都は国全体を併合していく。輪郭をなくして太っていく郊外の時代。

時間と空間の抹殺
  • 鉄道技術は、伝要的な空間/時間の連続性を抹殺する。

ベルクソン「持続」:道を通って、一つの村から別の村へ行くのに要する時間は、客観的な数値ではなく、時空の主観的知覚である。「遠い/近い」を決めるのは、客観的に測れる距離ではなく、距離と能力の関係である。

時空の主観的知覚は、交通技術によって左右される

→「時間と空間の抹殺」は、知覚のこのような現実喪失と理解することができる。

→鉄道が知っているのは、出発点と終着地だけである「切符で地方が買える」。

⇄2つの場所は、その間に空間があったのでまさしく特色であった。

=どの地方も、地理的な距離とは関係なく、身近でたやすく手に入るものと思われてくる。

  • このことは、生産物の特色をも失わせる。産物の具体的な感覚的特性は、遠くに離れた市場では全く違ったものとしてみなされる。

⇄「商品」(マルクス)は、市場の新たな特色として理解される。

商品=近代的輸送により、地方的な結びつきから切り離されたもの

←「アウラの喪失」(ベンヤミン)

  • 超地域的な列車のダイヤを組むためには、時間の統一=標準時の制定が求められる。

→鉄道中央機関が設立され、グリニッジ標準時がすべての路線に通用する鉄道標準時として採用される。

アメリカでは、個人経営の鉄道会社間での相互協力が行われなかったので、各鉄道路線には独自の時間があり、いくつかの路線が使用している駅には時刻の異なる複数の異なる時計があった。 (ex ピッツバーグには6個の時計があった。)

→1883年、米国は4つの時間帯に分けられ、現在でも通用している。最初は、公的には鉄道の時間としてのみ採用されていた。1918年になって一般の標準時として使用されるようになる。

 

 

議論

・鉄道技術の導入による、空間の収縮/拡大、時間の主観的知覚の変容、地方的な結びつきから疎外された商品の出現、標準時制定の促進、などといった遠大なインパクトについて、幅広い議論を展開している。こうした考察に触れると、「技術決定論」という思考様式がある意味で説得力を持っていることを認識させられる。

・特に、移動速度が3倍になる=移動時間が1/3になることによって、空間が縮小するだけではなく、逆説的にも空間を拡大する(つまり都市が周辺地域を飲み込んで膨張していく)という議論は、優れた指摘である。

・また、鉄道が知っているのは出発点と終着点だけであるという表現も、とても印象的である。特に、車窓から風景が見えない地下鉄や、深夜の暗闇を飛んでいる飛行機などでは、出発点と終着点の間にある空間のアナログ的な連続性が消失し、「出発点と終着点」がデジタルなものとして認識されるように感じる。

・鉄道と並んで、通信(電信や電話)についての哲学的考察も読んでみたい。