yokoken002's note

Reserch review on the history of technology and science

Carson & Gorman (1990)

Bernard Carlson and Michael E. Gorman, “Understanding Invention as a Cognitive Process: The Case of Thomas Edison and Early Motion Pictures, 1888-91”, Social Studies of Science, Vol.20 (1990), pp.387-430.

 

  1. Introduction (pp.387-390)
  • 技術の社会的研究において、発明(invention)ほど神秘的で中心的なテーマはない。
  • 技術的変化を探究するために、歴史家や社会学者はいくつかの概念的なアプローチを発展させてきた。ex: システム・アプローチ(Hughes)、知識としての技術の概念(Layton, Constant)、SCOT(Pinch, Bijker)、ANT(Latour, Low, Callon)etc.

→社会的構造や文化的規範、価値観がどのようにして技術の設計や人工物の特徴を伝えるかを示そうとしてきた。

  • ⇄社会的・文化的・経済的な作用がいかにして技術の設計を伝えるかという問題を理解する前に、発明のプロセスをはっきりと概念化する必要がある。

→とくに、発明家の頭の中で何が起こっているのか (=個人がどのように世界を知覚し、社会的・文化的環境からアイデアを取り入れ、新技術を創造するためにそれらを利用するか)を理解しなければならない。

Staudenmaierが言うように、TC論文において、発明の性質についての正確な歴史的解釈は十分に行われているとはいえない。

  • そこで本稿は、発明の解釈を作り出すことを試みる。

=発明を「ブラックボックス」とするのではなく、認知的・心的プロセスとみなす。

そのために、(1)技術史、(2)認知科学の双方からの知見を組み合わせる。

:(1)発明家はどのようにして際立ったスタイルや方法を持つのかについて調査した研究

(2)Tweney, Goodingらの研究 (※認知心理学者は洗練された思考モデルを導入してきたが、複雑な歴史的事例を調査することによってそれを洗練させる仕事は始まったばかりであり、かつ科学者の事例に限定され発明家のケーススタディーはなされていない。)

  • 認知プロセスとして発明を調査するために、以下の3つの関連した問題を扱う。
  • 発明家はいかにして問題を視覚化し定義するのか?
  • 彼らはいかにして研究の努力を組織する(organize)のか?
  • 発明において、彼らはどのような特定の要素を用いるのか?

→これらを調査するために、発明家の認知プロセスを、(1)メンタルモデル(mental model)、(2)ヒューリスティック(heuristics)、(3)機械的表現(mechanical representations)に分ける。

→これらの概念を用いて、発明家はいかにして独特なやり方でこれらを結びつけるのか、発明家のスタイルはどのようにしてこれらの要素の統合として定義されるのかを調査していく。

  • 本稿では、これらの概念をエジソン1888年から1892 年に取り組んだ最初の動画(motion picture)技術=kinetoscopeの開発に適用することで、これらの解釈的枠組みの価値を実証する。

同時にこれらのフレームワークは、ウェストオレンジの研究所において誰がmotion pictureを発明したのかという複雑な問題にも光を当てる。

 

  1. The Interpretive Framework (pp.390-395)
  • (1)認知科学者によれば、メンタルモデル(mental model)=「人々が自分自身や他人、環境、それらと相互作用するものについて持つモデル」。機能的なモデル。

→科学者や発明家にとってmental modelはダイナミックで、心の目(mind’s eye)で実行できる機械のような表現(device-like representations)である。

≒フレーム(frame) (Robert Weber, David Perkins)

フレーム:変数の値に対応するスロットと属性を持つデータ構造。

 Weber, Perkinsは、発明家が実際にフレームを持つ必要はなく、あくまで人工物の特徴をカタログ化する方法にすぎないと論じた。

  • ⇄本論文では、mental modelを発明家の心の中の表現として捉える。

←新しいアイデアを生成・分析するために発明家が構築する、個々人に特有な機械のような一連のパターン。

⇄もちろん、発明家の心の中を直接見ることは不可能→スケッチ、人工物、歴史的資料から推測しなければならない。

→mental modelは発明についての発明家のアイデアを組織化する方法として機能するが、フレームとは異なり、ダイナミックなプロトタイプである。

  • Bijkerも社会学的立場からフレーム概念を用いている。

⇄フレームの中に情報と問題解決技術の両方を含ませるBijkerとは異なり、ここでは発明概念の”mental model”と、問題解決の戦略の”ヒューリスティック”とを分ける。

 

Ex :どのように発明家が研究を選択するか、どのように助手たちに仕事を委任するか、どのようにスケッチやノートやモデルを活用するか?

  • Hughes: エジソン白熱電球をシステムの一部と認識しており、このシステムを完全なものにするために着実な方法論を用いたと論じている。

←2つの「システム」概念が混同されている。

:FriedelとIsraelは、Hughesはエジソンが電球の発明において合理的・体系的な方法を用いたことを実証していないと批判。〔=電力システム(=メンタル・モデル)と、思考のシステム(=ヒューリスティック)が区別されていない。〕

エジソンのアプローチがシステム的であるかどうかを判断するためには、システム思考のメンタルモデルヒューリスティックな機能とを分ける必要がある。

(エジソンが電灯をシステムとして概念化=「メンタルモデル」/ 彼のシステマティックな方法=ヒューリスティック)

 

  • (3)発明の3つ目の次元=機械的表現(mechanical representations)

←必ずしも「機械的」デバイスに限られず、電気回路や化学プロセスなども含む。

機械的表現の特徴:多くの発明家は、彼の仕事において繰り返し利用するそれらのレパートリーがある。(ex: エジソンの「シリンダー」や「尖筆」)

  • 機械的表現は、発明家の思考と物理的な装置とを媒介するものである。(ex エジソンにとって制御器(=機械的表現)は、システム(メンタルモデル)の本質的な特徴になっていたので、それを除いた形でシステムを考えることが困難だった。)

→新しい機械的表現が導入されることは、発明家が彼のメンタルモデルを修正することを強いる。

メンタルモデルと機械的表現とは相互に関係している

  • メンタルモデルと機械的表現とを結びつけることで、Basallaの見解に異論を唱える。

Basallaの見解:技術の世界は連続性にあふれている。新しい技術はその前例である人工物(antecedent artifacts)から進化する。

→本論文は、Basallaの” antecedent”という概念の曖昧さを再考する。

=モノとしての前例と、アナロジーとしての前例があり、発明家はどのようにして新技術の創造に際して両方を用いるのかを理解する。

 

  1. The Historical Case Study: Edison and the Kinetoscope
  • この概念的なフレームワークを説明すべく、1888年から1891年にかけて行われたエジソンによる映画(motion picture)=”kinetoscope”の発明を取り上げる。
  • エジソンは当初動画の撮影と投影を単一の機械で行うことを考えており、カメラ(kinetograph)と視聴機(kinetoscope)が分離するのは1891年のこと。
  • 1888年エジソンのキャリアの絶頂期。←白熱電灯事業の利益をもとに、1887年にウェストオレンジにおいて研究所を設立し、たくさんの助手を雇った。1880sにかけてエジソンの努力は電灯システム、蓄音機、鉄鋼石分離機の改良に注がれており、kinetoscopeは小さなプロジェクトの一つだった。

 

3-1 Conceptualizing the Kinetoscope: The Mental Model (pp.396-400)

  • Kinetoscopeのメンタルモデル=蓄音機とのアナロジー (音を記録する機械が使えるなら、なぜ同じように写真を使って動きを記録しないのか?)
  • 1888年2月に、Muybridgeがニューイングランド学会(New England Society)にて講演を行い、エジソンも参加した。その後エジソンは彼を研究所に案内し、そのときにMuybridgeはおそらくエジソンに回転のぞき絵(zoetrope)によって動いているような錯覚を生み出すアイデアを伝えた。

エジソンは彼から一連の写真から映像を記録できるということを学んだ。

  • 1888年10月、エジソンは蓄音機とのアナロジーによって、記録円筒の溝を小さな一連の写真に置き換えた(Fig.2)

←蓄音機が音の記録・再生を行えるのと同様に、シリンダーを感度の良い感光剤で覆い晒した。解像度の高いレンズとシャッターの組み合わせが約8秒ごとに個々の画像を生成した。→画像は、顕微鏡の対象物として覗かれるようにした(Fig.3)。

蓄音機の要素と類似していることから、エジソンはシリンダーと一連の写真を持つような設計を選択した

  • 興味深いのは、蓄音機とkinetoscopeの軸を共有させて、並べて利用しようとしていたこと(Fig.2)。(=音と映像)
  • シャープな画像を得るために、エジソンは、シリンダーは連続的に回転するのではなく間歇的に回転すべきだと考えた。

→ストックチッカー(電信)の印字機構で利用していた複動つめ(double acting pawl)を応用した。

→音叉(tuning fork)の振動によってつめを駆動させ、刻みを動かすことを考案(Fig.4)。音叉というのも、エジソンが以前から用いていたアイデア

エジソンは革命的なアイデアを抱き、それを馴染みのある機械的表現の言葉で表した

 

3-2 The Research Strategy or Heuristic ((pp.399-401)

  • Kinetoscopeの概念化→物理的な人工物へと発展させる必要がある。

→「ヒューリスティック」(問題解決の戦略)が求められる。

  • エジソンの典型的なヒューリスティックは、実験家チームを組織し発明を発展させる方法。(ex 電灯計画では、実験家と機械工のチームを組織し、個々に違った要素や問題を割り当て、各自に創造的に取り組ませる。その後エジソンがさまざまな解法を集め、一貫した発明を形作っていく。)
  • Kinetoscopeでは、同じような方法が小規模で、修正された形で利用された。

→重要な実験家はDickson:1883年にウェストオレンジ研究所へ入所。写真についての知識に最も長けていた人物であり、kinetoscopeの開発のための実験を引き受けるのに適していた。

  • エジソンはチームを2つの領域に分割。
  • 電気/機械的領域:エジソン自身
  • 写真/光学的領域:Dickson→感光剤の改善 (数量化・標準化された実験を要する)

(※エジソンはルーティーン化された化学実験を助手に委託する傾向にあった。)

  • 分業体制には限界点もある。

エジソンとディクソンは、お互いの機械的表現についていつも理解し合っていたわけではなかった。とくにディクソンはおそらくエジソンのkinetoscopeのメンタルモデルを完全に理解していなかった。

 

3-3 Mechanical Representations from the Phonograph and the Telegraph (pp.402-404)

1.ディクソン:

  • 1888年11月からディクソンは小さな銀のプレートにダゲレオタイプを用い、それを蓄音機シリンダーの表面に接着させた。しかし、顕微鏡で覗くと不鮮明な画像しか得られなかった。ディクソンはさまざまな感光剤を試した。

→1889年1月エジソンはシリンダーの直径を大きくすることで、写真を曲げなくてもすむようにすることを提案。

→光学的質が向上したものの、ディクソンには更なる改善が要求された。

→1889年6月に、ディクソンは蓄音機シリンダーに感光剤を塗布するのではなく、セルロイドフィルムをシリンダーに巻きつける方法を考案。

←のちにこのフィルムと従来の蓄音機シリンダーに巻き付けられたアルミホイルとを比較しており、ディクソンにこうした機械的表現を提案したのも蓄音機だった。

  • 同時にディクソンは、シリンダーの反応をより迅速にするために、軽い素材(アルミなど)を使用する実験も行っていた。
  1. エジソン:1889年1月までに、kinetoscopeは
  • 蓄音機シリンダーに連続的な回転が与えられる必要があり、
  • 写真シリンダーは間歇的な回転が必要であり、
  • 間歇的な回転運動はより鮮明な画像を与えるシャッターを動かすのに必要である、ということを認識した。

→これらの動きを実現するために、エジソンは電信機において考案した一連の機械的表現を利用した。

=制御器付きの電気モーター→軸に2つの歯車を設置し、それぞれが電気回路のスイッチのオンオフを担うようにした。

さらに、シャッター回路にガイスラー管も利用。∵顕微鏡対象物としての画像に光を当てる。

これらとディクソンのフィルムを用いて、満足いく予備結果が得られたので、1889年の8-9月にかけて、エジソンはディクソンに研究を継続するように勧めた。その間、エジソン自身は欧州へと出かけた。

 

3-4 The French Connection: Marey and the Film Strip(pp.404-405)

→マレーはエジソンに成果を共有し、彼の本(Le Vol des Oiseaux)も寄贈した。

  • エジソンは、螺旋状に巻かれたイメージの代わりに、直線的な連続写真を採用した機械的表現に印象を受けた。

エジソンとディクソンのシリンダー型:シリンダーをどれほど軽くしても、素早い間歇運動を妨げる慣性力が働いてしまう。

  • 1889年11月に、エジソンは写真画像を「あるリールから別のリールを通過する長い帯の形で」配置することを提案した。ただし、エジソンが最も説明を割いているのは、帯を移動させる電気機械的な配置についてだった(Fig.7)。

エジソンが電信で特許を取得し広範囲に用いていた有極中継機(polar relay)を使用する。Kinetoscopeでは、有極中継機を歯車に接続して間歇的な電流を流し、リールを一枚ずつ進めることで映像を映した。

 

 

  • An Alternative Model: Dickson and the Projecting Tachyscope (pp.405-410)
  • 1889年11月にエジソンは帯状のkinetoscopeの萌芽を持っていたが、ディクソンはその細かい仕事に取り組むことはなく、代わりに彼自身のバージョンの研究・開発に取り組んだ。

tachyscope (ドイツのアンシュッツ(Ottomar Anschuetz)が発明)

:大きな歯車の周辺に動物の動く絵が配置されたもの(Fig.8)。kinetoscope同様、素早く回転し、ガイスラー管によって照らされた開口部を画像が通過する。

  • ディクソンは1889年12月にtachyscopeを制作し、良好な結果を得た。

見物者に開口部を通じてイメージを見させるのではなく、ディクソンはスクリーンにそれらを拡大・投影するように改善した。さらに、映像が「しゃべる」ように、蓄音機も組み入れた。

エジソンは、映像の明滅(flicker)がひどいと不満を述べ、ディクソン自身も投影された映像が小さく、プロジェクターの中のアーク灯の明るさに限界があることを認めていた。しかし、ディクソンは映像を投影することができるということを示した。

  • ディクソンはエジソンの映画(motion picture)を発展させる上で独創的な貢献をしたが、1890年の春の時点でエジソンは投影された動画に印象を受けず、ディクソンをその仕事から外していた。
  • エジソンが投影を拒否した理由は、いくつかのレベルにおいて考えられる:
  • 投影は、「目にとっての蓄音機(phonograph for eyes)」というメンタルモデルに適合しなかったので、エジソンはその技術的・商業的な可能性を正しく理解することができなかった。

→当時のエジソンの蓄音機はお馴染みのホーンを備えておらず、個々人がear tubesを用いる方法を採用していた。

→kinetoscopeにおいても、個々人が開口部を通じて動画を見るという方法を想定していた。←小さなビジネスマンが客間に設備し、パトロンがお金を払って一曲か二曲聴く、という使用を想定。

  • エジソンは、ディクソンが帯状のkinetoscopeではなくtachscopeの開発に数ヶ月間費やしていたことにイライラしていた。エジソンは助手に彼ら自身の機械的表現を作り出すよう鼓舞していたが、彼はいつも実験家に彼自身のメンタルモデルの中で仕事をするよう期待していた。

⇄ディクソンは、エジソンのメンタルモデルを自分自身のメンタルモデルに置き換えた。

ディクソンはエジソンのメンタルモデルを超越してしまい、エジソンが売り方を知らないような製品を開発してしまった

→ディクソンはニューヨークでtachyscopeの展示をしたが、1897年にエジソンの実験室を離れるまで投影に関心を注ぐことはなかった。

 

  • Perfecting the Strip Kinetoscope (pp.410-415)
  • 1890年11月になって、ディクソンは映画研究を再開。ディクソンはエジソンの帯型のkinetoscopeのアイデアに注意を向けるようになる。
  • この時点で、ディクソンは明らかに映像の記録と映写のための機構を分離することを決めていた。

→kinetograph(カメラ)を発展させるべく、ディクソンはセルロイドを細い帯に切り、片方の端に切り込みを入れ、歯車と噛み合わせた(Fig.10)。レンズの後ろで歯車によってフィルムが動かされ、脱進機(escapement)によって間歇的に駆動された。

⇄歯車がフィルムを詰まらせるので、エジソンエジソンは電信機(ホイートストーンのミシン目)からアイデアを借りた。1891年の春、よりスムーズに動くように両方の端に切り込みを入れたフィルムが完成。

  • 光を取り込むために、より大きな開口部をもうけた。シャッターは間歇的に進むフィルムと同期しており、フィルムが一瞬止まったときにシャッターが開くようになっていた。
  • カメラ全体は箱の中に収められ、機械の背後には小さなのぞき口があった(Fig.11)。=”dog-house”、より正式には「キネトグラフ(kinetograph)」として知られるもの。
  • エジソンが注目していたのは、フィルムを間歇的に動かす機構。

キネトグラフでは、水平方向のモーターの回転を垂直方向のフィルムの回転に変える特別な配置(horizontal disk escapement)が考案された(Fig.12)。

エジソンがキネトスコープの機械的表現において重要な役割をしていた。

  • エジソンとディクソンは新しいキネトスコープを完成させるために、装飾を施した。エジソンのメンタルモデルに従って、新型の機械は一人の見物者が大きな箱の上にあるレンズを通じて覗き見るという形になった。フィルムの長さは40-50フィート。あかりは白熱電球で与えられた。
  • エジソンの覗き穴を持つキネトスコープは、彼がプロセニアムの効果(proscenium effect)や、18-19Cの幻灯機(magic projecting lantern)によって導かれていたと推測される。

:観客は出来事がよりはっきりと定められた場所で生じると、より劇的なパフォーマンスによって没入しやすくなる。→劇場では観客席と舞台との間にアーチ、プロセニアムが設置されていた。≒エジソンのキネトスコープの覗き穴

  • エジソンは最初の目的である音と動きを記録すること(=蓄音機とカメラを同期すること)を忘れなかった。

←水平方向の円方脱進機を電磁式の脱進機へと変更

⇄調整が難しく普及することはなかった。

 

3-7 Promoting and Manufacturing Kinetoscopes, 1891-1918 (pp.415-416)

  • Motion Pictureの営業の発展においても、エジソンは蓄音機とのアナロジーを使い続けた。→客間でパトロンがお金を払って音楽を聴く蓄音機に擬えて、エジソンはコイン機構を適用させた。(また蓄音機の際にエジソンが録音音楽に関心を寄せなかったのと同様、映画においてもフィルムに関心をほとんど抱かなかった。)
  • 1890sに入ると、リュミエール兄弟など、欧州と米国で映画の改良がなされ、1896年になってエジソンは初めて映写型のkinetoscopeを導入した。

エジソンはそれを自身で開発することはなく、アーマット(Thomas Armat)という別の発明家から特許権を購入した。

  • 続く20年間、エジソンの映画の特許が法廷で認められた後、エジソンの弁護士(Frank Dyer)は映画産業をコントロールするべくMotion Picture Patents Companyを設立した。

⇄経営のマネージャーは大衆に対する映画づくりに必要なスキルや洞察力がなく、芸術方面の産業に追い越されていった。1918年にエジソンは映画から身を引き、別の発明へと集中するようになった。

しかし。彼のキネトスコープにおける先駆的な仕事を通じて、エジソンは新しい通信技術(communication technology)の最初の一歩を確立した。

 

Conclusion (pp.417-421)

C-1 メンタルモデル、ヒューリスティックス、機械的表現

  • 本稿では、発明を認知プロセスとして解釈するために、(1)メンタルモデル、 ((2)ヒューリスティック、(3)機械的表現、という概念を適用した。

→発明:個人が機械のような概念(device-like conception)=メンタルモデルと、一連の物理的な人工物(physical artifact)=機械的表現を操作するプロセスである。

  • メンタルモデル:

エジソンの「耳のために蓄音機が行ったことを目のために行う機械」を作るというビジョン。=蓄音機とのアナロジーというメンタルモデル

→蓄音機のシリンダーを、螺旋状に置かれた小さな写真に置き換える。シリンダーにセルロイドフィルムを巻きつける(ディクソン)。

②発明がどのように使用され市場において流通するかについての考えを提供。

→蓄音機でもホーンで音を増幅するというアイデアを採用しておらず、ear tubesを通じて一人の聞き手がお金を払って音楽を聴くという方法を採用していた。

→kinetoscopeにおいても、一人の使用者が開口部を通じて鑑賞する方法。

③メンタルモデルは同時に発明家の創造的な地平を制限する可能性もある。

エジソンが開口部のあるkinetoscopeを好んで映写型のtachyscopeを拒否したことは、メンタルモデルは発明家が問題のある証拠に直面するまでは暗黙のまま(ないし明示されないまま)である可能性がある、ということを示唆している。

エジソンは、明らかにkinetoscopeは蓄音機と同じように使用・流通するものだと思い込んでいたかもしれないが彼はその前提をディクソンに伝達しなかった。

エジソンはtachyscopeによる映写イメージが明滅するのを見て、初めて映写を避けるという前提を明確にし、単一の使用者によって小銭を払って動かす機械としてのkinetoscopeを推進するようになった。

  • 機械的表現:メンタルモデルの物理的な要素における表現。

エジソンはkinetoscopeを作るために、従来の発明から機械的表現を借りてきた。明らかに彼は機械的表現のレパートリー(成功のための手段)を持っていた。

ex: 複動つめ(double action pawl)、有極中継機、電信機におけるフィルムの端にそって切り込みを入れるアイデア(←これはディクソンも関与)

エジソンはkinetoscopeに用いられていたほとんど全ての機械的表現に貢献した

⇄ディクソンも映写型のtachyscopeというもう一つのメンタルモデルを作り上げたが、これを商業的に利用可能なものにするのに必要な一貫性や機械的表現をおそらく持っていなかった。

エジソンは彼自身とディクソンから成る2つの研究チーム(電気的/機械的チームと、写真/光学的チーム)を使うことkinetoscopeの研究を進めた。

→機能の分業体制には欠陥もある。

:チームメンバーが定期的にお互いの機械的表現を比較しない限り、彼らは発明の元来のメンタルモデルを見失い、異なった方向へと進む羽目になる。

Ex; エジソンとディクソンの相違

ヒューリスティックがうまくいくためには、単一のメンタルモデルを維持し続け、さまざまな機械的表現を一貫した発明へと統合するリーダーが存在しなければならない

 

C-2 バサラのモデルの利点と欠点

  • バサラ:発明は、すでに存在している前例(antecedent)からもたらされる新しい人工物の進化である。

→kinetoscopeは、蓄音機からの前例を持っている。

  • バサラ理論の問題点:
  • 前例には異なった種類のものがある

:①概念的な前例(=メンタルモデルの次元での前例)と、②物理的な前例(=機械的表現の次元での前例)

Ex ①:蓄音機とのアナロジー、②電信テープにおける切り込み

  • 一つの前例だけに基づいている発明は存在しない可能性がある。

:kinetoscopeの例は、エジソンやディクソンは、蓄音機からだけではなく、電信機、(さらにマレーの写真銃)などからもアイデアを借用していた。

  • (発明は前例を持っているということを指摘するだけはなく、)新しい人工物を作るために発明家はどのように前例を認識し組み合わせるのか

←ある人工物が別の人工物を生み出すために使われるかもしれないという発見は、ホイッグ史観からは自明かもしれないが、発明者にとっては自明でない可能性がある創造的な行為。

エジソンの場合は、蓄音機とのアナロジーに基づいて機械的表現とヒューリスティックによって作動する装置を形作った。

 

 C-3 エジソンとディクソンの役割

  • エジソン:メンタルモデルを示し、研究を組織し、ほとんど全ての機械的表現を洗えた。
  • ディクソン:発明の光学的・写真的な側面の多くの仕事(legwork)を行った。

⇄Gordon Hendricksが指摘するように、ディクソンこそがkinetoscopeの発明者であるという見解を正当化しない。

→本稿では、エジソンが基本となる概念や多くの基礎的な電気機械的要素を与えたことで、エジソンとディクソンが共同でkinetoscopeを発明したと主張する。

 

C-4 今後の展望

  • 発明を認知プロセスと捉えるアプローチは、技術の社会的研究にいかに貢献するか。

一般的な言明でしか表現できないような神秘的な行為として発明を捉えるのではもはやなくなるので、このアプローチには価値がある。

・発明について特定の問いを立てることができるようになる。(ex :ベル、グレイ、エジソンといった異なった発明家が電話という同じ問題について取り組んだ方法をより詳しく調べることができる。) (ex 一人の同じ発明家が複数の異なる問題にどのとうに取り組んだかについて調べることができる。)

→こうした比較研究は、ここの発明家の独特の認知スタイルを強調する。

  • ただし、我々は「認知主義」(コンピュータ科学から借用した用語で行動の説明を展開しようとするもの)に与するわけではない。

→本稿で提示されたフレームワークは、認知過程が発明の「原因」であることを前提とするものではなく、発明という行為がコンピュータ上にモデル化できる(モデル化されるべき)と考えるものでもない。

⇄幅広い文化的・経済的な力が発明家の努力を形成するのであって、特定の個人にどのような要素が影響を与えているかをコンピュータがモデル化することは困難。

発明を認知的/社会的双方の次元での活動を捉える。

←社会的な次元を否定することなく、認知的次元の性質について調査するもの。

(ex エジソンのメンタルモデルに具現化された意味と、kinetoscopeを購入し初期のmotion を観る社会的集団との間の交渉。)

 

Ⅱ 議論

  • 3つの概念のうち、「メンタルモデル」、「機械的表現」は汎用性があるだけではなく、両者が有機的に結びついており、説得力のある概念だと思う。

ヒューリスティックという概念は本当に必要なのか?(エジソンの場合では「研究チーム」を組織するという戦略。) これに相当する戦略はない場合多いのではないか。また他の二つの概念との関係も不明確で、汎用性が低い概念だと感じる。

  • メンタルモデルは、発明を生み出す上で重要であると同時に、発明家の創造の地平(creative horizon)を制限する可能性は、他の事例でも考えられる。
  • 1910-20sにかけて発明は個人から集団による営みに変わってきた。それを踏まえると、個人に焦点を当てた本稿の分析はどこまで有効か?(20C以来の大半の事例には適用できないのではないか?)