David F. Noble, “Command Performance: A Perspective on the Social and Economic Consequence of Military Enterprise”
David F. Noble, “Command Performance: A Perspective on the Social and Economic Consequence of Military Enterprise” (1985)
- 軍事が技術開発の促進に重要な役割を果たしてきたことは周知の事実であり、特に戦時においてはそうである。
- 軍事特有の目的のために生み出された技術:近接信管、潜水艦、航空機探知機、戦闘通信、ミサイル、弾道計算、航空機、核兵器など。
☜これらが民間利用に波及し、より多様な目的に転用されるという通説がある。
この場合の軍部の役割は、次の2つの特徴で定義される;
(1)軍部の存在は、民間経済にとっての「外部性」である[1]。
(2)技術開発に対する軍の影響は一時的なもので、恒久的な痕跡を民間領域へ波及させることはない。
⇔これらの通説は、以下の点で問題がある。
(1)軍は民間経済にとっての「外部性」ではなく、米国の産業発展における「中心的な」存在である。
(2)軍の影響・痕跡は一時的なものではなく、広範な経済的・社会的帰結をもたらす。
- 1965年に米国空軍は『現代製造技術』という30分の映画を制作。☜数値制御(NC)製造法の普及を意図。
☜ここに筆者が「軍事的アプローチによる産業発展の支配的特徴(dominant characteristics of the military approach to industrial development)」と呼ぶものが示されている。それは以下の3点に集約される。
(1)性能(performance):軍事目標の達成に置かれる重点と、そこから必然的に導かれるもの(仕様)。
Ex ある戦術的目標のために、高速・多用途の航空機を要求するなど。
☜これらの軍事性能目標は、国家存亡の名の下に正当化され、そこから導かれる製品仕様もまた正当化される。この場合、コストは二次的な要素に過ぎなくなる。
(2)指揮(command):上官が命令をくだし、下級者が無条件にそれを実行すること。
→指揮系統の短縮と、意思疎通の断絶機会を大幅に削減することを求める。
=命令と実行の間に介する人間を減らし、残った人間が固定された指示に従い確実に行動すること。
(3)近代的手法(modern method):反論しない機械への執着、資本集約的生産の固執[2]。対義語は、従来的・伝統的(conventional)。
:「伝統的」であることとは、人間への依存を意味し、その人間は感情や原始性を体現しているとみなされる。伝統は「後進」と解釈され、これが近代化への推進力となる。
- これら3つの特徴(性能、命令、近代的手法)が国家安全保障の名の下に正当化され、軍事調達契約を通じて産業全体に強制されている[3]。
- しかし、軍の枠組みの中においてこれらが合理的であっても、他の文脈においては目的が異なるので、非合理的となる。
⇔むしろ他の文脈で求められることは、安価な商品[4]、サービスを通じての社会的・人間のニーズを満たすこと、競争市場の要求に応えること、民主主義・幸福追求、自由といったアメリカが価値を公言するものの育成。
⇔軍事化は、自立性、創造性を阻害し、人間技能の蓄積の枯渇、失業などをもたらす。=ルイス・マンフォードがいう”authiritarian technics”を助長する。
=人間を機械装置に従属的な立場に置く。
- 筆者は、機械化・自動化自体に反対するのではない。むしろ、新しい手法を賞賛している。しかし、それがもたらす社会的・人的コストや幸福増減の可能性を厳しく検証しなければ「合理的」であるとはいえない。
→何のために、どんな、誰のための進歩なのか?を考えつつ、軍が産業・技術開発に与えた影響を具体的に検証していく。
→以下では、陸海軍のそれぞれの事例から、互換性部品、コンテナ、NCを取り上げる。
- 陸軍 : 互換性部品(interchangeable parts)
- 19C前半、兵器廠と兵器局(軍工場を統括する部署)は、均一性(uniformity)のイデオロギーを発展させた。
☜交換可能な予備部品の供給を通じて、火器の容易な野外修理を確実にするという性能(performance)目標。
☜米英戦争(1812)において、火器の兵站(ロジ)問題に直面。スプリングフィールドとハーパーズ・フェリーの両兵器廠、および民間請負業者の工場の双方において、火器製造における均一性を確立しようと試みていく。
- 交換可能な予備部品の供給を通じて、火器の容易な野外修理を確実にするという性能基準(performance criteria)は、オブセッションになっていく。
- 均一性(uniformity)という性能基準は、それまで比較的自律していた全ての生産活動に対する指揮権の確立を必要した。
=「原料の最初の分配から最終的なコスト計算に至るまでの、生産プロセス全体の特定の規制のための、継続的な官僚機構の設立」
→modern method;硬化鋼のゲージ(計量規)、パターン(型)、専用の機械や固定具など。
→職人の自律性に目指した伝統的な作業パターンなどを排除していく。科学的管理法の前兆となる。
- 兵器廠で発展した均一性システムは、専用機械、精密なゲージ、部品の互換性を特徴とする、いわゆる「アメリカン・システム」の基礎となった。人々は武器ビジネスを去って工作機械産業を立ち上げ、そこから鉄道設備、ミシン、懐中時計、タイプライター、農機具、自転車などの製造へと均一性の原則を広めていった。=「進歩」の歴史
⇔機械化の必要性や均一性の重要性をめぐって、対立する意見が存在していた。
Ex 新しいシステムがなくても、ハーパーズ・フェリーが約30年間にわたり、そのシステムが最初に導入されたスプリングフィールドの生産量に匹敵し続けた。
- 均一性の原理に基づく互換性部品生産、科学的管理法(American System of manufacturing)は軍にとって明らかに利点が多かったが、他の製造業者にとってはその利点はそれほど明白ではない[5]。
;このシステムは、職を失った人々、より厳格な規律に従わされた人々、そして近代的な手法には常に伴う「脱技能化(デスクリング)」と「地位の低下」に苦しんだ人々にとっては、災難であった。
- 海軍:コンテナ化
→1960年に機械化・近代化計画が太平洋海事協会と西海岸港湾労働組合のもとで合意される。
近代化=バラ積み貨物→標準化コンテナ、従来貨物船→コンテナ船、大型ドックとクレーンへの代替。
→伝統的な港湾貨物業務が廃止される。さらに、ベトナム戦争の需要によってコンテナ革命は大幅に加速される。
- 従来の港湾貨物業務:イニシアティブ、技能の分散化、継続的な会話、非公式の仲間意識、活気に満ちた港湾コミュニティーなどの労働文化によって特徴づけられる。
⇔貨物・船舶は標準化される。埠頭作業は定型化され、厳格な管理と規律の対象となる。
→埠頭コミュニティーは壊滅する。
;労働者に自律性、革新性を発揮する機会はなく、勤務中に次のコンテナをどこに積み、どこに下ろすのかを無線やコンピュータのプリントアウトで指示されるだけになる。
☜小数の特権を守るために多数者を犠牲にする選択をした[6]。
- 空軍:数値制御(Numerical Control)
- 数値制御(NC)は、大部分がアメリカ空軍によって費用が負担された。性能目標=複雑な機械加工能力と均一性を必要とする高速航空機およびミサイル。
☜朝鮮戦争と冷戦によって勢いづけられる。
- NC革命の設計者らの構想:人間の介入の排除(指揮系統の短縮)および、残された人々を非熟練の、日常的な、そして厳密に規制されたタスクへと追い遣る。
∵数値制御=部品仕様を数値情報に変換し、経営陣が機械工の技能・自主性に依存せずに直接機械に入力できる技術。
☜19Cに兵器局の幹部たちが構想していた管理統制技術の実現。
- NCとは、管理側が労働者を介さずにコンピュータを介して直接機械と連絡できる。むしろ、機械自体が労働者のペースを調整し、規律を課す。
≒熟練したバッチ(一括)作業を、連続的なプロセスである組立ライン作業へと変貌させるもの。
- NCが登場する前には、レコード・プレイバック制御と呼ばれる技術が発展しつつあった。
レコード・プレイバック:機械工が最初の一つを手作業で作る間に機械の動きを磁気テープに記録し、その後は単にそのテープを再生して機械の動きを再現し、部品を複製するもの。=手動での指示やパターンの輪郭をなぞることによってプログラミングされるアナログ・システム。バッチ生産に適している。
⇔NCからすれば、労働者の技能・リソースに依存するため、最初から時代遅れでプリミティブなものとしてみなされた。
- NCは1949年にジョン・パーソンズによって発案され、1952年に空軍はMITとの契約によって最初のNCフライス盤を製作させた。
⇔複雑な加工には理想的だったものの、(複雑さの)要求がそこまで厳しくない大多数の金属加工の注文にとっては理想的では必ずしもなかった。+ソフト開発にも多額の費用がかかる。
- 金属加工業界の製造上のニーズという観点からすれば、大半の金属加工業務には前者(レコード・プレイバック等)を、補助金が出る軍事の仕事には後者(NC)を、というように両方の技術を並行して進めることが合理的であったはず。
⇔実際には空軍の要求が支配的となり、全ての企業がNCへと参入した。そして、金属加工業界全体にとって普及しやすい経済的な技術(ex レコードプレイバック)は放棄された。
- NCは高価(ソフト、ハード、維持管理)であり、金属加工業界への普及は遅かった。契約制度は、費用を負担できる向上を優遇したので、資本の集中を助長した。
→多くの加工施設では1970sまでNCの恩恵を得られなかった。
- NCは、機械メーカーの商業的競争力を損なわせた。
⇔フランク・プレス(大統領科学顧問)は、軍事用NCは「スピンオフ」すると主張し、議員を宥めていたが、リッター下院議員は日本とドイツが(軍用ではなく)商業用の機械に投資していることを指摘。
- アメリカの製造業者が高度に洗練された機械とAPTソフトウェア・システムに集中していた一方で、日本とドイツのメーカーは、機械設計とソフトウェア・システムにおける安価さ、利用しやすさ(アクセシビリティ)、単純さを強調した[7]。
→1978年、米国は19世紀以来初めて工作機械の純輸入国となり、我々は今なお競争できていない。
- NCは、技能の低下、地位の低下、無気力化といった悲惨な結果をもたらした。=自律性と主導権は、精密に規定されたタスクとコンピュータによる監視・監督に取って代わられつつある。
- 軍事的要請は転換(ディスロケーション)と置き換え(ディスプレイスメント)、そして最終的には構造的失業に寄与する。社会的コストは、今やいたるところで労働者たちによって、目に見えず静かに耐え忍ばれている[8]。
結論
- 軍は産業発展において、性能、命令、近代的手法という3つの恒久的な痕跡を残している。これらは必ずしも悪影響ではないが、純然たる恩恵でもない。
☜軍の保護(aegis)のもとで何が起きているのかを注意深く見極める必要がある。
- 兵器局の画一化システムは「進歩」を象徴するように思われるが、当時そのシステムはどれほど合理的で、社会的コストはどれくらいのものだったのか[9]?
- 経済的利益とは具体的に何であるのか?誰のための何のための進歩なのか?
- 社会としてどのような「進歩」を許容できるのかを根本的に問わなければならない。
評価
・上記のような重要な論点を含んでいる一方、根底にはマルクスの労働疎外論的な問題意識が横たわっているような感じがし、新しさを感じない論調。
・ただし見逃せないのは、アメリカ中産階級の崩壊(地位の低下など)とその後のトランプの当選とどの程度相関があるかという点である。
[1] 軍部が民間経済の「外部」であるとは必ずしも言えないという点は全く同意である。しかし逆に、戦前の日本軍の場合は、民間経済にとって「中心的」な存在であったかというと、それも正しくないだろう。むしろ、その間が切れ目なくつながっていたという感じだろうか。
[2] 呉海軍工廠における伍堂卓雄によるテーラー主義の導入・実践は、まさにこの議論を裏書しているだろう。
[3] こうした特徴を持つ軍が民間企業と契約を結ぶことで、3つの特徴が産業全体に支配的・恒久的な痕跡を及ぼすという議論は、日本の場合にはおそらく当てはまらない。なぜなら、軍用製品は民間製品の転用で成り立っていた(少なくともそういった分野があった)からである。
[4] これは日本軍の場合では、「軍の文脈」でも求められていたことである。
[5] 本当にそうだろうか?業界、業種、規模によって違うだろう。いわゆるバッチ生産といった中間的な手法もある。スケール・メリットが効く分野とそうでない分野がある。
[6] 著者のこの主張は重要かもしれないが、首肯できない。物流全体から見れば、コンテナ革命は著者が「労働者の文化の壊滅」という側面をはるかに超える経済的・社会的利益を産んだと想像されるからだ(著者は、その経済的利益とは誰のための何のための?と反論しそうだが)。コンテナ革命は、作業員(労働者という言葉はあまり使いたくない)にとっても、+になっていくはずだと思うが、これについてはまた『コンテナ革命』などを読む必要があるだろう。
[7] 大変興味深い論点である。日本のNC工作機械(安価、利用しやすさ、単純さ)は、米国の冷戦型工作機械(高コスト、高機能)とどのように違っていたのか?性能や価格はどれほど違っていたのか?米国から日本への技術移転はあったのか?気になる点がたくさんある。
[8] ラストベルトなどにおける工場閉鎖、地域産業の空洞化などによるアメリカ労働者の不満と関係しているのだろうか。あるいは、そうだとすれば、これはトランプの台頭と関係しているのだろうか。
[9] おそらく本論文で最も重要な点は、ここだと思う。つまり、ラトゥールが言うように、コンテナやNCが「進歩」であり、「合理的」であるとされるのは、ブラックボックスが閉じた後のことなのであって、黎明期(同時代)にはその合理性は必ずしも自明ではなかったかもしれないということだ。本稿の主張に寄り添えば、それは軍にとって「合理的」なのであって、民間産業全般にとっては非合理であるということになろうか。こうした「時間軸」を含めた解像度の向上は、歴史学が貢献しうる最大の武器である。

